寺原隼人は移籍していた!?経緯と成績に迫る!経歴と年俸や性格も

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校の時に球界を沸かせ、「寺原フィーバー」が起こるなど、ファンからも絶大な人気を誇った投手といったら

『寺原 隼人(てらはら はやと)』選手ですね!

寺原投手はホークス愛が強いですが、ホークス一筋ではないんです!

そして、寺原投手の性格についても気になるところ。
あまり表に出てこない選手だからこそ気になるものですよね!

そこで今回は、寺原投手の移籍の経緯移籍先の成績について、経歴性格にも迫ってみましょう。
更に、パリーグの平均年俸は3000万円程ですが、寺原投手はどれくらい年俸をもらっているのか合わせて調べてみました。

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寺原隼人のプロフィール

寺原隼人
出典:https://wing2.softbankhawks.co.jp/
名前:寺原 隼人(てらはら はやと)
出身地:宮崎県宮崎市
生年月日:1983年10月9日
身長:179cm
体重:83kg
プロ入り:2001年 ドラフト1位
デビュー:2002年4月16日

卒ルーキーながら、早々と4月にデビューを果たすなど入団から期待度の高さが伺えますね。
この期待は首脳陣からだけではなく、ファンからも絶大な人気を誇っていました。
それを証明したのが高知県での春季キャンプ。
寺原フィーバーが起きて、なんと!10万9850人を集客しました。
この数字は、当時の球団過去史上最高の数字として話題を作りました。

また、オープン戦での巨人で登板予定と発表されると1時間30分で完売
この完売時間も球団最速記録となり、公式戦デビュー前から数多くの球団記録を打ち立てています。
今では人気も少し落ちてしまったんですね。
現実はとても厳しいですね!

でも人気と共に起きやすいのが不祥事ですよね?
寺原投手も人気絶頂のオープン戦期間中に飲酒問題を起こしてしまい、球団から厳重注意を受けているんです。
しかし、これは先輩投手と飲み屋さんに行っているので、断りきれずに飲んでしまったのかもしれないですね。

寺原隼人は移籍していた!?移籍の経緯と成績に迫る!

原投手はホークスファンとして知られています。
しかし、そんな寺原投手に悪い話が飛び込んできてしまったんです!
それが横浜ベイスターズとのトレード成立話。

トレードの対象となったのは「多村仁」選手だったので、大型トレードとして野球ファンを驚かせるトレードとなりました。
ファンが驚いたのですから、本人はもっと驚いて、更にショックも受けたと思います。
今考えても可哀想です。

しかし、寺原投手にはこのトレードが大きな転機となって、横浜移籍1年目から12勝を挙げる活躍を見せたんです!
一方で負けも12敗を記録しており、球団側からの評価はあまり高くはなかったようです。

翌年は、自身初の開幕投手に指名。
残念なことに開幕戦ではアクシデントもあり、敗戦となってしまいました。
その後も先発としては思うような結果が残せなくなり、5月中旬には抑えとして起用されるようになりました。
この年、途中から抑えとして登板していましたが、22セーブをあげる活躍を見せて信頼を一気に上げています。

しかし、その次の年から怪我に悩まされるようになり、結果を出すことが出来なくなってしまいました。
愛着も湧いてきた頃だと思いますが、横浜在籍4年でまたもやトレード成立となって、オリックスに移籍することに。酷ですね。

ですが、また移籍が刺激になったのか、オリックス移籍1年目に12勝と自己最多タイの勝ち星を挙げているんです!

寺原隼人がオリックスへ移籍
出典:http://www.ad-vank.com/

相変わらず負け数も多く10敗を記録していますが、防御率は自身最高の3.06!
この防御率から見ると頻繁に打たれているわけではなく、僅差の場面で打たれてしまうという傾向にあったようですね!

そして期待された移籍2年目。
開幕前は腰痛などもありましたが、開幕当初は上々の結果でした。
しかし、その後はまたもや怪我や不安定な投球が重なり、2軍生活が多くなることに。
ですか、この年国内FA権を取得
オフにFA権を行使して真っ先に手を挙げたソフトバンクホークスに復帰を決断しました。

しかし、その時寺原投手の年俸ランクはBランクとなっていた為、人的補償が必要となりました。
球団はプロテクトを作成してオリックス側に提出。
すると選ばれたのは「馬原」投手だったんです!
馬原投手と寺原投手はとても仲が良く、自主トレや相談をし合う親友関係にありました。
馬原投手はその年怪我の影響で試合に出れていなかった上に年俸も高額年俸だったので、オリックスには取られないと踏んでいたようです。
結果的に寺原投手を獲得しても馬原投手を失うという失態を犯してしまったフロント陣は、ファンや現場から責められることに。

馬原投手と寺原投手の仲はどうなったのか気になりますよね?
大丈夫です!
2人の仲は馬原投手が引退した今も変わらず続いているようです。

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寺原隼人の経歴に迫る!

原投手は6歳年上の兄の影響で、小学校3年生の時に野球を始めました。
そして、小学校5年生の時には6年生を差し置いてエースへと上り詰めます。
先輩よりも良かったなんて、潜在能力の高さがどれ程のものなのかわかりますね!

中学校に入るとそのまま軟式野球を続けますが、この時は制球難で思うように球をコントロール出来ませんでした。
それを克服するために、中学校1年生の時は下半身を鍛えて、2年生の秋には宮崎県の県大会の決勝戦で見事に完封勝利を飾っています。
1年生の苦労が身を結びましたね!

3年生の夏には、4番でエースとして県大会で優勝する活躍。
九州大会でも2位となる躍進を見せ、全国大会にも出場しました。
しかし、全国大会では初戦で敗れてしまい、全国の壁を思い知らされています。

高校では地元の強豪校である日南学園に進学。
入学してすぐから球速は135km/hを記録するほどスピードボールを投げ込む投手だったんです!

高校でもすぐにエースかと思いきや、現実は甘くはありませんでした。
1年生から九州大会に中継ぎとして登板を果たしますが、2回を投げて3失点と結果は残せませんでした。
今まで打者を圧倒していただけに悔しかったと思います。
その後、当時の監督と共にフォームの改造に着手して、2年生の夏には球速も140km/hを超えるようになっていました。
しかし、まだ投球術は未熟さがあり、この年の夏の県大会では準決勝で宮崎日大に敗れてしまい甲子園出場とはなりませんでした。
でも、2年生の秋の県大会では優勝をして続く九州大会で自己最速となる147km /hを記録。
九州大会では準々決勝で敗れてしまいましたが、エースとして安定感が出てくるようになっていました。

寺原隼人の高校時代
出典:https://www.asahi.com/

この時の敗戦の理由は、寺原投手の投球ではなく寺原投手の球速が急激に成長したことにより、捕手がついて来られずにバッテリーエラーを繰り返してしまったことにありました。
この時寺原投手はどんな心境だったんでしょうね!

そして、迎えた3年生の春。
捕手を変更されて、迎えた春の県大会では最速153km/hを記録して見事に勝利!
決勝戦では被安打2と健闘を見せますが、味方の援護がなく1対2で敗れてしまいました。
寺原投手はあまりついてないんですね!

春の大会の次に行われるのは夏の大会。
そうです!甲子園ですね!
この時の県大会の3回戦で見事にノーヒットノーランを達成すると、そのまま優勝して甲子園出場を成し遂げました。
もうここまで来ると知名度もかなり高くなっていますね!

甲子園本戦直前の8月7日。
寺原投手は右手中指の靭帯炎症を起こしてしまい練習を中断せざるを得ませんでした。
しかし、8月11日の甲子園1回戦で先発登板すると、8回を1失点に抑える力投で初戦突破に成功。
指を痛めても投げるなんてエースの意地なんでしょうか。
続く2回戦前夜にも高熱を出してしまいました。
今回は先発と言うことは出来ませんでしたが、5回裏から中継ぎとして登板を果たすと6回にブレーブスのスピードガンで157km/hを計測、しかしテレビ中継では154km/hとなっていました。
どちらにせよ、この時の甲子園の最速は151km/hだったので、甲子園最速記録を叩き出しました。
最終的にはベスト8で終わってしまいましたが、日南学園の最高順位を成し遂げました。
甲子園大会で一気に知名度を上げ、ドラフト1位候補として複数球団から注目を集めるようになりました。

そして、ドラフト会議ではダイエー、横浜、巨人、中日の4球団から指名されて抽選となり、意中のダイエーホークスに入団が決定。
ここで別の球団に行っていればまた違った野球人となっていたかもしれないですね!

寺原隼人の性格や年俸は?

球選手ってプロに限らず気性の荒い人が多いと思いませんか?
プロでは日本ハムの「中田翔」選手やオリックスの「中島裕之」選手は典型的なタイプであると思います。
では、寺原投手はどうなのでしょうか?
結論から言うとそんなにイキの良い選手ではないです!

入団初年度に飲酒の不祥事を起こしていますが、先輩との付き合いがあってのことだと思うので、これは自分の意思とは反した行動であったと思います。

幼少時代はとてもおとなしい性格で、中学時代にそれを克服する為に生徒会長に立候補したり、文化祭ではバンドを組んで大勢の前で披露するなど、少しでも自らの弱点を克服する努力をしていたんですね!
やはり投手としては度胸が大事です!
お人好しすぎるのも良くないってことなんですね!

また、寺原フィーバーが起きた程の人気の寺原投手の年俸も気になりますよね?

人気と年俸は比例しませんが、人気がある=学生時代もしくはプロで活躍した。
と言うことなので入団からの年俸を調べてみました。

入団1年目の契約金は1億円、そして年俸は1500万円で契約しています。
これは新人選手の最高額なので期待の大きさが伺えますね!

寺原隼人が年俸1500万円で契約
出典:https://ent.smt.docomo.ne.jp/

初年度に6勝2年目には7勝を挙げて、年俸は2年で3600万円までアップ!
その次の年には0勝に終わってしまい、初のダウン公開となりました。
ダウンした額は800万円で、年俸2800万円で公開しています。
一般人からすると、この年俸でもかなりの贅沢が出来ちゃいますね!

しかし、その後は成績が振るわず2200万円まで下がってしまいましたが、横浜に移籍後に初の二桁勝利を挙げると一気に6500万円までアップを勝ち取っています。
翌年も抑えとして活躍して8000万円まで上がっています!
この3年間で6000万円近くも上がっていますね!
羨ましい!

続く2010年。
成績は下降を辿って年俸も6400万円になってしまいます。
そんな時にまたもやオリックスにトレードに出されてしまい、移籍初年度に二桁勝利を挙げました。
すると当然ながら年俸はアップして、自己最高額となる8500万円になっています。
トレードを機に下がった年俸を直ぐに戻していますね!

その後はFA権を行使してソフトバンクに復帰しているので、複数年契約で8500万円の年俸で落ち着いています。
ソフトバンクでは思うように成績を伸ばすことが出来ていないので、年俸は下降していき現在では5200万円まで下がっています。
今年はまだ契約更改を行なっていないので2018年の年俸はわかりませんが、2017年の成績からすると上がることは期待できないかもしれません。

最後にまとめ

かがでしたか?
寺原隼人投手について簡単にまとめると

①トレードで横浜に移籍。1年目から結果を残すが4年で再びオリックスにトレードされる。ここでも1年目は2桁勝利を残すが、FA権を取得すると古巣であるソフトバンクに復帰する。
②小学校から野球を始めて直ぐにエースとして覚醒。そして甲子園でも大躍進を見せるとプロの注目の的となりドラフトで4球団からの指名を受けた。
③性格は温厚な性格。入団1年目は最高年俸の1500万円で契約。最高年俸は8500万円。現役16年で1億円には到達していない。

ソフトバンクホークスに復帰してからはあまり飛び抜けた成績を残せていません。

しかし、このまま終わってしまう寺原投手ではないと思いますので、2018年ホークス在籍で最高の成績を残してくれると信じています!

でも、ホークスの投手陣は12球団でも層が厚く先発としては難しいかもしれません。
先発としてこだわらなければ、まだまだ登板の機会は得られると思います。
35歳を迎える2018年は、岩嵜投手と共に中継ぎとして球界を盛り上げて欲しいですね!

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