古田敦也の現役時代・監督時代の成績や記録は?野村克也との関係も

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、ヤクルトには「歴代最強キャッチャー」とも呼ばれた選手がいたことを知っていますか?

そうです。

『古田 敦也(ふるた あつや)』選手ですね!

古田敦也選手は、現役時代ヤクルトの正捕手としてチームをリーグ優勝、日本一に導きました。

そしてヤクルトの監督を務めたこともありました。

そんな古田敦也選手の現役時代はいったいどんな選手だったのでしょうか?

当時の監督、「野村克也」監督との関係と合わせて、古田敦也選手の成績や記録などに迫ってみましょう!

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古田敦也のプロフィール

古田敦也
出典:https://spaia.jp/
名前:古田 敦也(ふるた あつや)
出身地:兵庫県川西市
生年月日:1965年8月6日
身長:180cm
体重:80kg
プロ入り:1989年 ドラフト2位
所属球団:東京ヤクルトスワローズ (1990 – 2007)
デビュー:1990年4月11日
監督歴:2007年10月9日

田敦也選手は高校時代は無名な選手でした。
大学は立命館大学出身。
その後、社会人野球へ進みトヨタ自動車に入りました。

そして1989年、ヤクルトスワローズからドラフト2位で指名されプロ入りしました。
プロ入り後は当時のヤクルトの監督「野村克也」さんの指導の下、ヤクルトの正捕手になりました。
現役時代はクリーンナップも担い、チームをリーグ優勝に導きました。

選手兼任という形で2年ほど監督も経験した古田選手。
現役は2007年に引退しました。
歴代最強キャッチャーともいわれる古田敦也選手。
その理由はなんでしょう?

古田敦也と野村克也の関係は?

田敦也選手がここまでの選手になったきっかけは、やはり野村克也監督でしょう。
当時のヤクルトの監督は名将として知られ、日本野球界に多大な貢献をもたらした野村克也監督でした。

古田選手は、1年目から野村監督に抜擢され、100試合に出場。
入団当時、野村監督は古田選手の送球の動作の速さ、捕球も腰がしっかり落ち安定していたことから正捕手といて期待していたようです。

しかし打撃が全くといっていいほどダメでした。
当時ヤクルトの正捕手だった「秦真司」選手に見切りをつけルーキーながら古田選手を使いました。
その後はヤクルトの正捕手は古田選手になりました。

野村監督は古田選手に捕手としての配球を教えるため、試合中ベンチでは野村監督のそばには古田選手がいました。
そして当時野村監督がやっていた「ID野球」の申し子とも呼ばれるようになりました。

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古田敦也の現役時代の成績や記録は? 歴代最強捕手!

田敦也選手はさきほど紹介した通り、当時の監督である野村克也監督に抜擢され1年目から正捕手に定着しました。

打率は.250とよくありませんでしたが、守備は当時の日本球界トップレベル
盗塁阻止率は、なんとリーグトップ!
ルーキーからすごい成績を残しました。

そして、翌年には苦手なバッテイングを克服し、なんと首位打者に。
1992年にはチームはリーグ優勝を達成しました。
この年は、古田選手もクリーンナップを任され3番を打つようになりました。
日本シリーズで西武ライオンズに敗れてしまうも、翌年もリーグ優勝し再びチームは日本シリーズに進出しました。

その後、見事チームはリベンジを果たし日本一となりました。
日本一を達成したこの年は2年連続の全試合出場を達成した古田選手。
盗塁阻止率は、なんと驚異の.644という数字に!
これは今でも破られず、なんと日本記録になっています。
そして古田選手は2005年の開幕直後に2000安打を達成しました。
大学から社会人出身のなかで2000本安打を達成したのは同じチームメイトだった「宮本慎也」選手と、古田敦也選手のたった二人だけです。

古田敦也はどんな監督だった??

田敦也選手は監督も経験しました。
もちろんヤクルトの監督です。
しかし普通の監督ではなりませんでした。

古田選手は、入団当時お世話になった野村克也監督以来となる選手兼任監督になりました。
「若松」監督が2005年に退任することが決まり、古田監督は2006年に就任しました。

しかし残念ながら結果は残せず、2007年にはチームは最下位に転落。
2005年のヤクルトは4位で、2006年はクライマックスシリーズにチームを進出させるも、2007年には最下位となってしまいました。
最下位になった責任を取ることで、古田監督は2007年限りで監督を引退
ともに選手としても引退することになりました。

球団社長からはもう1年やってもいいよと引き留められるも、監督・選手ともに引退することを決意。
それはヤクルトのファンだけではなく、他球団のファンからもたくさんの悲しみの声が古田選手に飛び交いました。
ファンから愛された古田選手は監督、選手ともに2007年に引退しました。

最後にまとめ

かがでしょうか?
古田敦也選手について簡単にまとめると

①高校時代は無名の選手。大学は立命館大学出身。その後社会人野球へ。社会人野球はトヨタ自動車に。1989年ドラフト2位でヤクルトスワローズからドラフト2位で指名。
②当時の監督、野村克也監督から抜擢される。「ID野球の申し子」とも言われた。1年目から100試合以上に出場した。
③2年目に首位打者に。1992年は日本シリーズに進出するも、西武に敗れ翌年リベンジで日本一に。大学生から社会人で2000本安打を達成したのは宮本慎也選手と古田敦也選手のたった2人。
④野村克也監督以来の兼任監督に就任。しかし結果が残せず2007年に選手、監督ともに引退することに。

兼任監督ではなく、ちゃんとした監督としてもう1度監督をやらせてほしい。と野村克也監督は言います。
再び誕生なるか!?古田敦也監督!

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