森本稀哲の全盛期がスゴイ!日ハム・横浜での成績は?西武引退試合も

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坂世代と呼ばれる1981年生まれの野球選手たち。
すでに引退した選手もたくさんいます。

その一人の松坂世代として活躍し、2015年に引退した『森本 稀哲(もりもと ひちょり)』選手をあなたは知っていますか?

森本選手は、下の名前「稀哲(ひちょり)」という特徴的な名前で呼ばれファンに愛されました。

そんな森本選手の全盛期といったら日ハム時代でしょう。

その後、横浜DeNAベイスターズ、西武ライオンズと移籍し、2015年に引退をしています。

そんな森本選手の野球人生に迫ってみましょう!

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森本稀哲のプロフィール

森本稀哲
出典:https://hominis.media/
名前:森本 稀哲(もりもと ひちょり)
出身地:東京都荒川区
生年月日:1981年1月31日
身長:185cm
体重:81kg
プロ入り:1998年 ドラフト4位
所属球団:北海道日本ハムファイターズ (1999 – 2010)
横浜DeNAベイスターズ (2011 – 2013)
埼玉西武ライオンズ (2014 – 2015)
デビュー:2000年8月2日

本稀哲選手は帝京高校出身。
1998年ドラフトで4位指名を受け日本ハムファイターズに入団しました。

帝京高校出身の選手には、ソフトバンクの「中村晃」選手や、日本ハムの「杉谷拳士」選手がいますね。
日本ハムでは「新庄剛志」選手と「稲葉篤紀」選手と鉄壁の外野陣を形勢、日本ハムの日本一に大きく貢献しました。

FAで2011年に横浜DeNAベイスターズに移籍した森本選手。
2年後の2013年シーズン終了後には、戦力外通告を受けるも西武ライオンズに拾われました。
そして、2015年に森本選手は引退しました。

森本稀哲の全盛期・日ハム時代がスゴイ! 鉄壁の外野陣の一人!

本稀哲選手といえば、日ハム時代のイメージが強い野球ファンは多いのではないでしょうか?
もちろん森本選手の全盛期が日ハム時代というのもあるでしょう。
では、その全盛期である日ハムではどのような活躍をしたのでしょうか?

森本選手がレギュラーに定着したのは2006年のことでした。
それまでは守備固めや、代々要因代走要因として起用されていました。

森本稀哲の日ハム時代
出典:https://sportiva.shueisha.co.jp/

当時の外野陣は、新庄剛志選手や稲葉篤紀選手がいて、鉄壁の外野陣となっていました。
センターは新庄選手が守り、ライトは稲葉選手が守り、センターは森本選手が守っていました。

レギュラーを獲得した2006年は、ゴールデングラブ賞を受賞し、守備のレベルの高さを披露した森本選手。
ちなみに鉄壁の外野陣と呼ばれた日ハムでは、この年稲葉選手と新庄選手もゴールデングラブ賞を受賞し、外野のレギュラー全員がゴールデングラブ賞を受賞しています。
チームはリーグ優勝を達成し、日本シリーズに進出しました。
日本シリーズでも森本選手はチームに貢献し、2006年の日本一に大きく貢献。
また、森本選手自身もキャリアハイの成績を残し、飛躍の1年となりました。

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森本稀哲は横浜DeNAベイスターズに移籍!

本稀哲選手は、その後、日本ハムのレギュラーとして活躍しました。
2009年のリーグ優勝、日本一にも貢献しました。
しかし、怪我や「糸井嘉男」選手が出てきたことで少しずつ出場機会が減っていました。

森本稀哲選手はFA宣言をして、2011年に横浜DeNAベイスターズに移籍しました。
年俸は8000万円
横浜DeNAに移籍した森本選手ですが、横浜DeNAではケガでおもったような活躍ができませんでした。

森本選手が横浜DeNAで活躍したのはFA2年目の2012年シーズンでしょう。

森本稀哲の横浜時代
出典:Twitter

この年は、後半戦からレギュラーから落ちるも「スーパーサブ」としてチームを支えました。
「代打」「代走」「守備固め」としてチームを支えた森本選手。

しかし、翌年からは出場機会が全く無くなってしまい戦力外通告を受けてしまいます。
森本選手はテスト生として西武ライオンズとして入団し、見事支配下選手になりました。
横浜DeNAを去った森本選手がでしたが、西武ライオンズが森本選手を拾い「西武ライオンズ・森本稀哲」が誕生。

森本稀哲の西武引退試合について

2015年、森本稀哲選手は引退することになりました。
西武ライオンズでは、生え抜きでもなく戦力外通告を受け入団してきましたが、引退セレモニーまで行われ、しっかりと引退試合が行われました。

森本稀哲が引退
出典:http://sisitama.blog.jp/

試合の方を見てみると、森本選手は8回表から守備固めで出場。
8回裏、森本選手の打順は7番で、攻撃は1番「秋山翔吾」から始まり、打席に立つには4人が出塁しなければならない厳しい状況でした。
しかし、チームメイトが森本選手まで打席を回そうと必死になりました。

秋山翔吾選手が二塁打、「渡辺直人」選手が死球、「浅村栄斗」選手が内野安打、「中村剛也」選手が犠牲フライを打ってワンアウト。
5番「メヒア」選手がサードゴロでツーアウトを取られたが全力で走り、「栗山巧」選手が粘って四球で出塁し、なんと1番から7番まで打順が回り森本選手に打席が回ってきました。
森本選手は涙をこらえながら最終打席に入ります。
最終打席はサードごろに終わりました。
引退セレモニーでは、日本ハムでチームメイトとして鉄壁の外野陣を築いた新庄剛志選手と稲葉篤紀選手も参加しました。

最後にまとめ

かがでしょうか?
森本稀哲選手について簡単にまとめると

①森本選手は、1998年ドラフトで4位指名を受け日本ハムファイターズに入団。帝京高校出身の松坂世代。
②新庄剛志選手、稲葉篤紀選手とともに鉄壁の外野陣として日本ハムの日本一に貢献した。この年は3人そろってゴールデングラブ賞を受賞した
③森本選手の横浜時代は「スーパーサブ」として活躍した。
④森本選手の引退試合では、西武のチームメイトたちが必死に打席を回してくれた。西武には2年しかいなかったが、引退セレモニーが行われ、新庄剛志選手や稲葉篤紀選手も参加した。

森本稀哲選手は、現役時代すごい選手だったんですね。
チームメイトだった稲葉選手は侍ジャパンの監督になりました。
森本選手も、またいつかユニフォームを着てほしいですね。

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