秋山幸二は西武とソフトバンクで活躍?その成績や伝説がスゴイ!

西武ライオンズの黄金期。
その黄金期を支えた選手がいました。
2017年でロッテの監督を退任した「伊東勤」監督や、現在西武ライオンズの監督を務める「辻」監督など。

そして『秋山 幸二(あきやま こうじ)』選手もその一人。

秋山選手の晩年は、西武ライオンズからダイエーホークス(現ソフトバンンク)に移籍し、そのダイエーホークスでは監督も務めました。

今回は、そんな秋山幸二選手の現役時代の活躍と成績について迫ってみましょう!

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秋山幸二のプロフィール

秋山幸二
出典:https://middle-edge.jp/
名前:秋山 幸二(あきやま こうじ)
生年月日:1962年4月6日
出身地:熊本県八代郡氷川町
身長:186cm
体重:86kg
プロ入り:1980年 ドラフト外
所属球団:西武ライオンズ (1981 – 1993)
福岡ダイエーホークス (1994 – 2002)
デビュー:1981年9月29日

山幸二選手は1980年に西武ライオンズに入団しました。
秋山選手といえばセンターを守っているイメージが強いと思いますが、入団当初はサードを守っていました。
1987年にセンター(外野手)にコンバートしてから外野を守るようになりました。

1994年にはダイエーホークスにトレード移籍することになります。
ダイエーホークスとは、現在の福岡ソフトバンクホークスです。
秋山選手といえば打撃はもちろんそのセンターのうまい守備も魅力です。
西武ライオンズとダイエーホークスで活躍した秋山選手は、2002年に現役を引退しました。

秋山幸二はどんな選手だった? 守備がうまい!

山幸二選手は、入団当初はサードを守っていたと紹介しましたが、高校時代は投手として活躍していたんですよ!
高校時代は熊本の地元の高校に進学。
高校3年生の最後の夏は、熊本県の予選で敗れることになります。
その敗れた決勝の相手のキャッチャーは、プロ入り後チームメイトになった「伊東勤」選手でした。

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秋山選手は高校時代投手として活躍していましたが、西武ライオンズからは「野手として育てていきたい」という一言で西武ライオンズへの入団を決意。
秋山選手は大学進学も考えていましたが、この一言で西武への入団を決めたそうです。
しかし、予選の決勝まで進出できるほどの実力ですから、投手としても素晴らしい選手だったのでしょうね。

秋山幸二
出典:Twitter

秋山選手の魅力は、確かに打撃にもありますがそれだけではありません。
秋山選手は身体能力がとても高く守備がとても上手です。
プロ入りした時も、身体能力がとても高いとスカウトから評価されていました。
1987年にはその高い身体能力を生かすために外野手に転向。
俊足強肩の秋山選手は、見事守備面でも大きく花を咲かせました。

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秋山幸二の西武時代の成績は? 西武の黄金期を支える

山幸二選手が、レギュラーとして試合に出場するようになったのは3年目のことでした。
当時、秋山選手はサードを守っていました。
プロ3年目の85年に全試合出場を達成しました。
さらに秋山選手のすごいところはこれだけではありません。

あの「王貞治」選手と並ぶ史上最年少(23歳)での本塁打40本を記録しました!
プロ5年目(1軍出場3回目のシーズン)にして40本もホームランを打つのは本当にすごいと思います。
そして秋山選手は3年連続40本も達成!
本塁打王も獲得しました。

秋山幸二のホームラン
出典:https://www.sankei.com/

主に秋山選手は3番を打っていました。
秋山選手は打撃、守備ともにとてもにレベルが高かったですが、50盗塁を達成盗塁王を獲得できるほどの足の持ち主でもありました。
3番センター秋山選手の後ろには、ファーストを守る4番「清原和博」選手がいました。
この秋山選手と清原選手の並びは7年近く続きました。
走攻守揃い走攻守どれをとってもどれもレベルが高い選手でした。

秋山幸二はトレード移籍でダイエーホークスへ! 移籍後の成績は?

山幸二選手は1994年に福岡ダイエーホークスにトレード移籍しました。
ダイエーホークスでも、変わらず3番センターとしてレギュラーを獲得し活躍しました。

秋山幸二のダイエーホークス時代
出典:http://sisitama.blog.jp/

チームは西武と比べては、現在日本一に輝いた福岡ソフトバンクホークス対照的で、当時のダイエーホークスはあまり強くありませんでした。
3番を秋山選手が打つ一方、4番には「小久保裕紀」選手いました。
ほかにもキャッチャーには「城島健司」選手がいました。

トレード移籍した当初のチームは弱かったものの、秋山選手の姿勢を習った若手たちがどんどん成長し、1999年にはリーグ優勝を達成!
当時は城島健司選手や小久保選手に加え、平成唯一の三冠王とも呼ばれた「松中信彦」選手もいました。
リーグ優勝を達成し、日本シリーズではMVPも獲得しました。

全盛期は3番を打っていた秋山選手も、7番という下位打線を打つようになり「チームを引っ張る主力選手」から「チームを支えるベテラン選手」と立ち回りが変わっていました。
2000年には2000本安打を達成
ちなみに秋山選手の通算安打は2157本にもなります。

最後にまとめ

かがでしょうか?
秋山幸二選手について簡単にまとめると

①1980年に西武ライオンズに入団。1987年にセンター(外野手)にコンバートしてから外野を守るように。
②高校3年生の夏は後にチームメイトになる伊東勤選手がいるチームに敗れる。身体能力がとても高い。俊足強肩
③3年目にサードのレギュラーを獲得。王貞治選手と並ぶ史上最年少(23歳)での本塁打40本を記録。3番が秋山選手が打ち4番が清原選手が打っていた。
④1999年のダイエーホークスのリーグ優勝、日本一に貢献。日本シリーズMVPにも。2000年には2000本安打を達成した。

現役時代、西武ライオンズとダイエーホークスでリーグ優勝、日本一に貢献した秋山幸二選手。
今後、秋山幸二選手のような西武ライオンズを盛り上げる選手が表れるといいですね!
また黄金期を迎え、リーグ優勝と日本一になってくれる日を楽しみにしています。

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