山下大輔の現役時代の成績がスゴイ!人柄は?監督時代のエピソードも

横浜に本拠地を置く横浜DeNAベイスターズ。
つい最近まで「横浜DeNAベイスターズ」ではなく、「横浜ベイスターズ」という球団名だったことを知っている人は多いと思います。
しかし、その前が『大洋ホエールズ』という球団名だったのを知っている野球ファンはわりと少ないのかもしれません。

大洋ホエールズから横浜大洋ホエールズに代わり、その大洋ホエールズで活躍した『山下 大輔(やました だいすけ)』選手をあなたは知っていますか?

山下選手は引退後、横浜ベイスターズで監督も務めました。

明るい人柄で親しまれ、現役時代は守備がとてもうまい選手でした。

そんな山下大輔選手の現役時代監督時代に迫ってみましょう。

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山下大輔のプロフィール

山下大輔
出典:Twitter
名前:山下 大輔(やました だいすけ)
出身地:静岡県静岡市清水区
生年月日:1952年3月5日
身長:176cm
体重:78kg
プロ入り:1973年 ドラフト1位
所属球団:横浜大洋ホエールズ (1974 – 1988)
監督歴:横浜ベイスターズ ( 2003 – 2004)
デビュー:1974年4月7日

1973年ドラフト一位で山下大輔選手は大洋ホエールズに入団しました。
山下選手は眼鏡をかけ、すこしぽっちゃりとした体系をしています。

高校時代は地元の高校に進学し、大学は慶応義塾大学に進学しました。
山下選手はショートを守り、現役時代はショートのレギュラーとして活躍。
山下選手は打撃よりも守備がうまく、守備でチームに貢献していました。
そして山下選手は1988年に現役を引退。

2003年には横浜ベイスターズの監督に就任。
しかし結果が残せず、わずか2年で監督を辞めることになりました。
その後は楽天などでコーチも務めました。

山下大輔の現役時代の成績は? 8年連続ゴールグラブ賞!

下大輔選手は1年目から人気のある選手でした。
山下選手はプロ入りするなら「巨人が第一志望。在京球団でも構わない」と言っていましたが、その通り神奈川県の球団に入団することになりました。

山下選手はルーキーのころからとても人気のある選手でした。
どのくらい人気だったのかというと、控え選手だったのに人気投票でオールスターに選出されるほどの人気選手。

また、山下選手は静岡県出身です。
静岡県といえばお茶とみかん。
なのでお茶の緑、みかんのオレンジにユニフォームを変えるほどの人気でした。

山下選手はとても守備がうまい選手でした。

山下大輔の現役時代
出典:https://www.sponichi.co.jp/

山下選手がレギュラーに定着したのはプロ2年目。
2年目から背番号を1番に変え、ショートのレギュラーとして活躍しました。
2018年現在、背番号1番をつけるのは「桑原将志」選手が今年から1番をつけていますね。
レギュラーを獲得した2年目に、山下選手はなんと現在でいうところのゴールデングラブ賞であるダイヤモンドグラブ賞を受賞します!
そして、なんと山下選手は8年連続でゴールデングラブ賞(ダイヤモンドグラブ賞)を受賞しました!

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山下大輔ってどんな人? とても明るい人柄!

ールデングラブ賞(ダイヤモンドグラブ賞)を8年連続で獲得した山下大輔選手。
ショートのポジションで8回のゴールデングラブ賞(ダイヤモンドグラブ賞)の受賞は、連続記録を含めなんと最多記録です。
これだけすごい記録を残している選手ですが、山下選手はどんな人柄なの?と疑問に感じる人もいると思います。

山下選手はとても明るい人柄の選手です。
山下選手がプロ入りした時は頭の髪がふさふさでしたが、歳を取るたびにだんだん後退していきました。
横浜ベイスターズの監督を務めるころには、髪がほとんど無くなっています。
これに対して煌々と光る自らの頭部をアピールポイントにするユーモアも持ち合わせるようになりました。

山下大輔の性格や人柄
出典:Twitter

例えば楽天の球団創立時に山下選手は、ヘッドコーチに就任した時の会見では「チームを(自分の頭で)明るくしたい」や「私は(スキン)ヘッドコーチ」や「昔はノーエラーの山下。今はノーヘアーの山下です」などと冗談を交えて話すような人でした。
個人的には最後の昔はノーエラーの山下。今はノーヘヤーの山下。というのがとても面白いですね。
風が強い日には「僕のヘアスタイルも乱れがちで…」と、とても面白く明るい人でした。

山下大輔は横浜ベイスターズの監督に! 高木豊とのエピソードも

山下大輔選手は、2003年に横浜ベイスターズの監督に就任。
2004年まで監督を務め、2年間ベイスボールの監督を務めました。

成績は残念ながら2年連続最下位と残念な結果に終わりました。
当時のチームはあまり良いチームとは言えないなか、山下監督は自ら盛り上げ役を率先し、チーム内の不協和音を克服しました。

山下大輔監督
出典:https://www.sponichi.co.jp/

夫人いわく「主人が人の悪口を言っているのを聞いたことがない」という話もあります。
監督自ら盛り上げ役を買う監督は少なく、現在横浜DeNAベイスターズのラミレス監督がそういうことをすることはありません。
ラミレス監督の前任の中畑清監督は、自ら盛り上げ役を買いチームを引っ張りました。

現役時代には1983年の試合中、高木豊という選手が「オレらが点をとってもピッチャーがこう打たれちゃあなぁ」とぼやいていたところ、山下選手が「みんな一生懸命やっているんだから、そういうことを言うな!」などと怒ったりと仲間を大切にしました。
山下大輔選手が監督を務めた当時は、タイロン・ウッズ選手や石井琢朗選手、鈴木尚典選手がいました。

最後にまとめ

いかがでしょうか?
山下大輔選手についてまとめると

①1973年ドラフト一位で山下大輔選手は大洋ホエールズに入団。現役時代は大洋ホエールズで過ごし横浜ベイスターズの監督も務めた。
②山下選手はとても人気のある選手で、控え選手なのに1年目からオールスターに選出。8年連続でダイヤモンドグラブ賞(ゴールグラブ賞)受賞。
③山下選手はとても明るい人柄。冗談を交えて話すこともあった。
④2003年、2004年横浜ベイスターズの監督を務める。自ら盛り上げ役を買った。しかし残念ながら成績は2年連続で最下位に。

といったところでしょうか。
山下大輔選手の現役時代は大洋ホエールズ一筋に頑張ってきました。
引退後は横浜ベイスターズの監督も務め、持ち味の明るい性格でチームの協和音を克服。
監督としては短い期間でしたが、ファンにとっては大切な思い出です。

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