河野公平の実力を検証!強い?弱い?亀田に負ければ引退との噂も

なたは不思議に思いませんか!?

なぜ、『亀田興毅』選手は山中選手とは戦わずに河野選手とは戦うのか!?

「そんなん浪速の逃犬の名前通り逃げてるだけやろ!?」
「最初から勝てると思ってないからに決まってるやん」

アンチ亀田が多いのもあってこんな声が
聞こえてきそうです。

そこで今回は米国で対戦することになった河野選手
実力を検証してみることにしましょう。

これで亀田選手が山中戦を避け河野戦を選んだ理由
明らかになってくると思います。

また、河野選手がもし今回の亀田戦に敗れれば引退との
噂もでてきておりその辺りもチェックしてみましょう。

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河野公平のプロフィール!出身や身長も

名前:河野公平(こうのこうへい)
ニックネーム:タフボーイ
生年月日:1980年11月23日
出身:山梨県中巨魔郡
身長:166cm
リーチ170cm
出身高校:東亜学園高校
所属:ワタナベボクシングジム

野選手は山梨県中巨魔郡出身。

高校は東京都中野区にある「東亜学園高校」
に通っていた。

高校では陸上部に所属していたが
「6ヶ月でプロボクサーになる」という本を読み、、、、

ボクシングキャリアをスタート。

ワタナベジムに入門し2000年11月にプロデビュー。

デビュー戦はまさかの黒星

父はもともとボクシングをすることに反対だったという。

しかし、このデビュー戦に敗れて猛練習している息子に心打たれ
自宅のリビングを練習場に改修したとの秘話がある。

初のタイトルマッチはデビューから7年後の2007年2月。

日本スーパーフライ級タイトルマッチに挑戦した
河野選手は3-0のフルマークの判定で勝利。

そして、この王座を2度防衛し2008年9月に
「WBA世界スーパーフライ級王座決定戦」に臨む。

相手は同じ日本人の「名城信男」選手。
しかし、結果は1-2の判定負け、、、、

2度目の世界挑戦も失敗に終わり「3度目の正直」
なったデビューから12年後の2012年大晦日。

タイの『テーパリット・ゴーキャットジム』選手に
対し4RKO勝ちをおさめついに世界王者に輝いた。

しかし、翌年の2013年の初防衛戦でベネズエラのソリス選手に2-0の判定負け。

その後、再起を果たし2014年3月のデンカオセーン選手を8RKOで下し世界王者に返り咲いた。

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河野公平の実力やいかに!?強い?弱い?

きな言葉に「努力は人を裏切らない」を挙げるなど
とにかく「努力の男」である河野選手。

そんな河野選手の真の実力はあなたも気になる
ところじゃないでしょうか!?

戦績だけを見ると39戦30勝8敗1分13KO、、、、

これを見る限りはっきり言って強い選手とは
いえないのが現実。

39戦で8敗というのはこれは明らかに
被弾が多いとも言える。

さらに13KOとさほどKO数も多くないことから
パンチ力もあるとは言えない。

しかし、河野選手の持ち味である闘争心溢れる
突進は相手選手にとっては脅威。

「練習の虫」である河野選手のスタミナは底知れず。

だが、ここで一度立ち止まって考えてみて
ください。

亀田選手が河野選手と対戦を決めた理由を、、、、

河野選手の持ち味は先ほども言ったとおり
「前への突進」

しかし、亀田戦ではこれが弱点になる可能性が
十分にある。

というのも亀田選手は強気な発言とは裏腹に
「カウンターパンチャー」

つまり相手を迎え撃つタイプの選手である。

もっと言えば河野選手の突進を利用しようという
作戦
です。

実際に亀田選手は河野戦に向けてこんな事を
言っている。

「前に出てこなかったら俺が行くだけ」というのは
これはお決まりの強気発言(苦笑)

実際にそんな気はサラサラなくカウンター狙いに
終始した戦いになるでしょう。

河野選手はあの亀田選手に敗れた内藤大助選手に
「前へ前へ出て行く」という意味ではかなり似たタイプ。

亀田選手はその時と同じイメージで戦うことが
予想されます。

河野選手には何か意表をつく作戦を用意しておいてほしいですね。

こういったことから亀田選手がなぜ、山中戦ではなく
河野戦を選んだことが分かる
んじゃないでしょうか。

河野公平は亀田に負ければ引退!?

ボクサーの身の引き方」というのは選手それぞれの
考え方があって当たり前ですが、、、、

あの「ゴールデンボーイ」との愛称でファンから
親しまれた「デラホーヤ」はこう語る。

紳士的と受け止めるのが妥当なコメント。

となってくると河野選手は自身の「身の引き方」
ついてどういった考えを持っているのか!?

今まで「努力」というキーワードを脳裏にしっかり
刻みただひたすら練習に打ち込んできた、、、、

しかし、亀田戦に敗れるとなると引退説が
出てくることは必至。

勝敗はもちろん、その後の動向にも注目が
集まる(亀田選手も然り)

最後にまとめ!

スリートいうのは本当に何かを犠牲にしてでも掴みたい
何かがないと続けることが一番、難しい職業、、、、

そんな過酷な世界でもそれを楽しむかのように
練習に没頭する河野選手。

かつてあのマイクタイソンを育てた
「カス・ダマト」氏はこう名言を残す。

河野選手の試合を見てるとこの言葉を体現して
いるのではないか
と思わされる時がある。

米国での亀田戦、その先の河野選手の
動向に注目です。