斉藤和巳の伝説や成績すごい!涙の引退の理由は怪我!?

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本球界に復帰するも、ケガに悩まされソフトバンクを戦力外になった「松坂大輔」選手。

過去はメジャーでも活躍し国際大会でも活躍した松坂選手ですが、ソフトバンクでは全く活躍することができませんでした。
戦力外になった松坂選手は今年から中日ドラゴンズに移籍し、新たな野球人生に進みました。

この松坂選手と同じように、怪我が原因でチームを去った選手が昔ソフトバンクにいました。

その選手は『斉藤 和巳(さいとう かずみ)』選手といいます。

全盛期はソフトバンクのエースとして活躍するもケガをしてしまします。
その怪我が原因引退することになりました。
今回はその斉藤和巳選手を紹介します。

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斉藤和巳のプロフィール

斉藤和巳
出典:http://japan-baseball.nittsu.co.jp/
名前:斉藤 和巳(さいとう かずみ)
出身地 :京都府京都市南区
生年月日:1977年11月30日
身長:192cm
体重:97kg
プロ入り:1995年 ドラフト1位
所属球団:福岡ソフトバンクホークス (1996 – 2010)
デビュー:1997年10月5日

藤和巳選手は1995年のドラフトでソフトバンクホークスからドフラト1位でプロ入りしました。
当時は福岡ソフトバンクホークスという名前ではなく福岡ダイエーホークスという球団名でした。
ドラフト1位で入団した斉藤選手は、プロ入り後伸び悩み2軍生活が続きますが、2003年に覚醒し20勝も勝てる投手にもなりました。
そして最多勝最優秀防御利最多奪三振と投手タイトルも数多く獲得しました。
2003年にはチームのリーグ優勝日本一に大きく貢献。
ソフトバンクのエースとして活躍しました。
しかし斉藤選手の活躍はそう長く続きませんでした。

斉藤和巳の伝説がすごい!ダイエーホークスのエースに!

藤和巳選手は、1995年のドラフトで一位で福岡ダイエーホークスに入団しました。
ドラフト1位で入団するも、斉藤選手はなかなか活躍することができませんでした。
2002年まで斉藤選手はほぼ2軍くらい。
プロでなかなか活躍できず苦しんでいました。
しかし当時の監督の王貞治監督からは期待の選手の一人にあげられていました。

そんな斉藤選手が覚醒したのは2003年でした。
斉藤選手はこの年開幕投手を任されます。
当時は現在は巨人の「杉内俊哉」選手や2016年にソフトバンクに復帰した「和田毅」選手もいましたがこの選手を超えて開幕投手に指名されました。
この開幕戦で見事勝ち星を獲得!
ここから斉藤選手の伝説が始まりました。

それから斉藤選手は当時ではプロ野球新記録となるなんと16連勝を記録!
ダイエーホークス(当時はまだダイエーホークス)のエースとして君臨しました。
そして最多勝・最優秀防御率・最高勝率・ベストナインと投手タイトルを総なめしました!
なんと沢村賞も獲得
シーズン20勝も達成しました。
この年チームはリーグ優勝、日本一に輝きました。

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斉藤和巳のその後の活躍は?怪我で苦しむ

藤和巳選手は翌年もエースとして活躍。
2006年には最多勝、最優秀防御率を獲得しさらには沢村賞も獲得しました!
2度も沢村賞獲得はすごいですね~!
最近の選手でいうと「前田健太」選手と田中将大選手が沢村賞を二度獲得しています。
二人ともメジャーで活躍するすごい選手ですね!しかし斉藤選手の活躍はそう長く続きませんでした・・・沢村賞を買う得した翌年の2007年は2年連続4度目となる開幕投手になりました。

しかし、4月の途中から右肩の筋疲労で2軍落ちに。
しかし斉藤選手は怪我完全に復帰しませんでしたが1軍に復帰しました。
当時の監督の王貞治監督は「本来の投球は来年からでいい。ただ存在感やリーダーとしての役割があるので一軍にいてもらいたい」と語ります。
オールスター明けは中10日以上、7回もしくは100球という制限がある中で5勝をあげチームを救いました。
その後斉藤選手はクライマックスシリーズファーストステージに登板。
しかし4回5失点で、敗戦投手になってしまいました。
そして、これが現役最後の登板となりました。

斉藤和巳は怪我で引退!復活できず

我をしても、再び復帰し以前のような投球をし復活する選手がいます。
しかし沢村賞にも輝いた斉藤選手でも復活することはできませんでした。
2007年について斉藤選手は何十球投げたらもう感覚がなく、登板後は歩いて腕を振っているだけで亜脱臼という状態だったことをのちに告白。
とても深刻な状態でした。

その後は全く投げることができず、2005年から3年で7億5千万円の複数年契約を結んでいたのでファンから批判を受けることもありました。
2011年からは支配下登録から外れることに。
「一度支配下選手枠から外れ、状態が回復すれば再度支配下登録されることを条件にリハビリ担当コーチに就任して再起を目指す」という異例の契約に。
「三軍リハビリ担当コーチ」としてコーチ契約を結ぶことになりました。
しかしその後も斉藤選手は復活することができず。
結果引退を決意

最後は引退セレモニーで、最優秀バッテリーを獲得した「城島健司」選手にボールを投げました。
斉藤選手は通算で79勝23敗、通算勝率.775を誇りました。
100勝には届きませんでしたが、通算勝率は7割超え。
このことから「負けないピッチャー」「負けないエース」と呼ばれました。

最後にまとめ

かがでしょうか?
斉藤和巳選手について簡単にまとめると

①1995年のドラフトで福岡ダイエーホークスからドフラト1位でプロ入りする。プロ入り後伸び悩むも2003年に覚醒
②2003年に覚醒し沢村賞を獲得するほどの活躍。16連勝も記録し最多勝・最優秀防御率・最高勝率・ベストナインなどの投手タイトルを獲得し20勝した。
③2006年は2度目となる沢村賞獲得となる活躍をするも翌年からは怪我でボロボロになりながらピッチングを続ける
④2001年からは「三軍リハビリ担当コーチ」としてコーチ契約を結ぶ。しかし復活とはならず引退することに。「負けないピッチャー」や「負けないエース」と呼ばれました

全盛期はエースとして活躍するもケガ引退に追い込まれた斉藤和巳選手。
全盛期の活躍を残しソフトバンクを去ることになりました。

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