中畑清の現役時代は?巨人の4番を務める!絶好調の口癖とは?

2016年横浜DeNAベイスターズは球団初のクライマックスシリーズに進出しました。
翌年の2017年もクライマックスシリーズに進出しクライマックスシリーズを制覇し日本シリーズにも進出しました。
横浜DeNAの監督を務めた『中畑 清(なかはた きよし)』監督を知っていますか?

中畑清監督は横浜DeNAのイメージが強いですが、実は現役時代は巨人の選手だったんですよ。

巨人で4番も務めた中畑清監督の現役時代に迫ってみましょう!

中畑清のプロフィール

中畑清
出典:http://www.ad-vank.com/
  • 名前:中畑 清(なかはた きよし)
  • 出身地:福島県西白河郡矢吹町
  • 生年月日:1954年1月6日
  • 身長:185cm
  • 体重:90kg
  • プロ入り:1975年 ドラフト3位
  • 所属球団:読売ジャイアンツ (1976 – 1989)
  • デビュー:1977年7月17日
  • 監督歴:横浜DeNAベイスターズ (2012 – 2015)

畑清監督といえば横浜DeNAのイメージが強いと思いますが実は巨人の選手だった言うのはさきほど紹介しました。
現在の横浜DeNAの監督のラミレス監督も現役時代も巨人の4番も務めましたが中畑監督も現役時代は巨人の4番を務めました。
中畑監督は駒澤大学出身です。
今現役の選手で駒澤大学出身といえば横浜DeNAのエースと務める「今永昇太」選手がいます。
ドラフト時は注目選手の一人として注目されましたがドフラト一位ではなく読売ジャイアンツが3位指名してプロ入りしました。

中畑清の現役時代を紹介!当時はどんな選手がいた?

畑清監督が現役時代は1976年から1989年の13年間です。
中畑監督がドラフト指名されたのが1975年ともう50年近く前のことなので当時のことを知っている野球ファンは少ないでしょう。
中畑監督本人ももう64歳と年を取りました。
なので当時どんな選手がいたか知らない人はおおいでしょう。
なので当時どんな選手がいたのが紹介したいと思います。
現在横浜DeNAのGM(ジェネラルマネージャー)を務めるのは誰か知っていますか?現在横浜DeNAのGMを務めるのは「高田繁」GMです。
この人も元プロ野球選手で中畑監督と同じ巨人に所属していました。
中畑監督とは現役時代からチームメイトでした。
読売ジャイアンツのチームメイトだった2人が監督という立場とGMという立場で再び仕事をしているというのはまた面白いものですね。
当時の巨人にはまだ「王貞治」選手が現役でした。
他プロ野球選手でたった一人の3000本を達成した「張本勲」も巨人でまだ現役でした。
王選手や張本選手と偉大過ぎるほどの先輩に囲まれ現役を中畑監督は過ごしました。

中畑清は常に絶好調?!絶好調が代名詞だった

畑清監督といえばどんなイメージを持ちますか?
明るく元気なイメージがとても強いと思います。
特に横浜DeNAの監督を務めていた時は選手が活躍と選手以上に喜び人柄の良さがとても分かります。
もう64歳ですから優しいおじいさんって感じですね。
とても見てて楽しい人です。
中畑監督の現役時代も監督時代と変わらず元気で明るい人柄でした。
そんな中畑監督の現役時代の口癖は「絶好調」
じゃあ中畑監督は現役時代いつも絶好調だったのか?と聞かれるとそうではありません。
もちろん人間ですから中畑監督にも絶不調という時がありました。
しかしそれでも中畑監督は絶好調と言っていました。
例えばなかなか打てないときもテレビなどメディアからのインタビューでは絶好調と答えていました。
なんで絶好調というのか。
これにはきっかけがありました。
中畑監督がまだレギュラーになる前のことでした。
当時の監督だった「長嶋茂雄」監督から「今日の調子はどうだ?」と聞かれた時中畑監督はいつも「ボチボチです」と答えていたようです。
それを見ていた当時のコーチ「土井正三」コーチから「まあまあなんて言うやつを監督が起用するか?絶好調と答えろ!」と言われたことがきっかけで絶好調と答えるようになりました。

中畑清が7年連続ゴールデングラブ賞を受賞

畑清監督は読売ジャイアンツにドフラト3位で指名され入団しました。
しかし当時の巨人には王貞治選手や張本勲選手や高田繁選手や土井正三選手などさきほどから名前から出ている選手がまだ現役でとても層が厚くなかなかレギュラーを奪うことができませんでした。
しかしのちにGMとして一緒に仕事することになる高田繁選手が怪我をしたことをきっかけにサードのレギュラーに定着しました。
それまでは毎年10試合も出場することもできない選手でしたがプロ3年目に100試合以上に出場しレギュラーを奪うことができました。
翌年は長嶋茂雄監督が退任し王貞治選手が引退しました。
中畑監督にとっても一つのチャンスでした。
しかし当時のドラフト一位で入団した後に巨人の監督を務めることになる「原辰徳」選手にレギュラーを奪われてしまいました。
怪我から復帰するもサードのポジションは原選手の奪われていてファーストとして出場しました。
しかしファーストにコンバートしたことで守備力が落ちるのかと思えば7年連続でゴールデングラブ賞受賞!
まさかのきっかけでファーストにコンバートしたことが功を奏したようです。

中畑清が監督に就任した時チームはどんな状況?!

横浜DeNAベイスターズ初代監督の中畑清監督。
横浜ベイスターズはいままでTBSグループが運営していましたが経営不振などを理由にDeNAグループに売却されることになりました。
それがきっかけで「横浜ベイスターズ」から「横浜DeNAベイスターズ」という名前に変わりました。
名前が変わって初代監督に就任した中畑監督ですが名前が変わる前の横浜ベイスターズはどんなチームだったのでしょうか。
一言で表すと「弱小球団」という言葉がぴったりでしょう。
ソフトバンクで今年も大活躍だった「内川聖一」と今年巨人を戦力外になった「村田修一」選手のこの2人の共通点を知っていますか?
この2人実はもともと横浜ベイスターズの選手だったんですよ。
しかしこの二人はFAしてチームを去ることになりました。
ちなみにこの2人がFAした主な理由が「チームが弱かったから」だそうです。
特に内川選手は横浜ベイスターズは常に順位低く勝っても素直に喜べなかったそうです。
村田選手も横浜の主砲として活躍していましたが横浜ベイスターズをFAして去ることになりました。

中畑清の監督としての成績は?Bクラスが続いた

チームが弱すぎて主力選手がFAしてしまう。
そんな弱小球団の監督に就任したのは現役時代は「絶好調」という代名詞で有名だった中畑清監督でした。
中畑監督は2012年に横浜DeNAベイスターズの監督に就任し2015年まで横浜DeNAの監督を務めました。
横浜DeNAの監督に4年間務めました。
しかし成績は決して良くなく1年目は最下位、その後は2年連続で5位そして最後の年は最下位と残念な結果に終わっていました。
しかし中畑監督は成績以外にも大切なものを横浜DeNAに作ってくれました。
横浜DeNAベイスターズのファンがとても増えたことです。
いままで横浜DeNAベイスターズの本拠地の横浜スタジアムが満席になることは全くといっていいほどありませんでした。
今の中日のナゴヤドーム以上にガラガラでした。
しかし中畑監督が就任してからは注目度が上がり魅力的なチームになったことからたくさんのファンが増えました。
特に今年のクライマックスシリーズから日本シリーズのパブリックビューイングには横浜スタジアムからあふれるほどのファンが集まりました。

中畑清監督率いる横浜DeNAベイスターズがリーグ優勝?!

ここまで弱小球団と紹介してきた横浜DeNAベイスターズですが実は1度リーグ優勝に近づいたことがあるのを知っていますか?それは中畑監督の最終年の2015年のことでした。
この年は開幕から4番に「筒香」選手を抜擢しました。
そしてドラフト一位で獲得した「山崎康晃」選手を先発ではなく中畑監督を中心として判断でクローザーになることになりました。
2015年は開幕から調子が良く交流戦になんとセ・リーグ一位!首位として突入しました。
筒香選手もとても調子が良く4番として大活躍しました。
そして貯金も11個も貯めました。(貯金とは勝ち星と負け星を比べた時勝ち星の方が多い場合貯金がある状態になる。なお負け星の方が少ない場合は借金となる)
しかし交流戦でまさかの3勝しかできず12連敗を屈する歴史的敗北をしました。
これをきっかけに後半戦からは大失速。
チームは負けに負けを重ね4月には断トツ最下位だった中日ドラゴンズと並ぶことになりました。
最後はクライマックスシリーズの進出もなくなり中日ドラゴンズとの最下位争いにも敗れ最下位でシーズンを終えました。

最後にまとめ

中畑清の現役時代について簡単にまとめると

①駒澤大学出身で1975年にドラフトで3位指名を受け巨人に入団した。当時の監督は長嶋茂雄監督
②当時の巨人にはまだ現役の王貞治選手や張本勲選手がいた。のちのGMという立場になり一緒に仕事をすることになる高田繁選手もまだ現役でチームメイトだった
③代名詞は絶好調。当時のコーチ土井正三コーチから「まあまあなんて言うやつを監督が起用するか?絶好調と答えろ!」と言われたことがきっかけ
④現役時代はなかなか出番がなかったが高田繁選手が怪我をしたことでレギュラーを奪った

絶好調が代名詞の中畑清監督。
もし調子を聞かれたら絶好調と答えてみたら面白いかもしれません。