カープでスピードスターと言えば?
もちろん『赤松真人(あかまつまさと)』選手!
代走の切り札のイメージが強いですが、実は守備も非常に優秀な選手って知っていましたか?
他にもルーキー時代くらいまでは、ホームランバッターと本人が言っていたそうです。
今の赤松選手からすると意外ですね!
2016年に胃がんが発覚し、胃を半分切除する手術を受けて体重がかなり落ちてしまいました。
半年の苦しい抗がん剤治療を経て、2017年7月からは3軍で練習に参加できるまでになっていますよね。
そんな赤松選手ですが、ネットで検索すると「倖田來未」や「倉木麻衣」という何故か女性歌手の名前が一緒に検索されています。
もしかして結婚する前に何かあったのでしょうか?
一体どういう関係なのか気になりますね~。
更に今回は、年俸や成績、家族についても合わせて調べてみました。
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赤松真人のプロフィール
出典:http://www.huffingtonpost.jp/
出身地:京都府京都市伏見区
生年月日:1982年9月6日
身長:182cm
体重:75kg
プロ入り:2004年ドラフト6巡目
デビュー:2005年10月4日
幼稚園のころ兄の影響で野球を始め、小学生の時は一塁以外の全ポジションを守れる器用さを見せます。
高校は地元京都の平安高校に進み、2年生の時投手兼外野手として春のセンバツに出場、ベスト8まで進んでいますね。
他にはこれといった活躍はなかったものの、カープのスカウトからプロ入りの打診をされています。
後の経緯を考えると、カープは赤松選手をこの時からきっとモノになると見ていたんでしょうね。
しかし、自信がなかった為進学を選択し、立命館大学に進みます。
立命館大学も京都なので、徹底した地元志向なんですね。
大学では投手をやめ、野手に転向し、3年時には1試合5安打、4年時には主将になり何と1試合5盗塁という記録を残します。
全打席で出塁し、盗塁したってことでしょうか。
凄すぎる!
そして2004年のドラフトで、カープではなく阪神から6位指名を受け入団することになりました。
きっとカープが6位指名をするつもりだったけど、阪神の方が指名順位が先だったんでしょうね。
阪神は右打ちの外野手が補強ポイントで、赤松選手を指名した模様です。
赤松真人と倖田來未、倉木麻衣の関係とは?
赤松選手と『倖田來未』さん、『倉木麻衣』さんの関係ですが、まずは「倖田來未」さんとの関係から見ていきましょう。
この2人の共通点は出身地にあります。
赤松選手は京都府京都市伏見区の出身で、倖田來未さんも出身地が全く同じです。
出身地だけではなく何と中学が一緒なんですよ。
これは非常に意外なんですが、「倖田來未」さんは当時野球部でしかもマネージャーではなく選手として所属していました。
赤松選手は遊撃、倖田來未さんは二塁と2人で内野の要の二遊間を守っていたんです。
倖田來未さんが野球のユニフォームを着ていた姿、ちょっと見てみたかったです!
ちなみに今でも連絡を取り合っており、赤松選手の結婚式ではビデオレターを贈ってくれたとか。
いい友人関係が続いているようですね。
次に「倉木麻衣」さんですが、赤松選手との共通点は大学にあります。
赤松選手は立命館大学産業社会学部産業社会学科に在籍していて、「倉木麻衣」さんも同じ学部に在籍していて同じクラスだったそうです。
倉木麻衣さんの出身は千葉で、高校も途中まで千葉県内に通っていましたが、レコード会社が大阪だったことと、千葉県内の高校は芸能活動が禁止されていた為、編入したそうです。
その編入した学校が立命館宇治高等学校で、立命館大学の系列校だったんです。
現在、赤松選手と「倉木麻衣」さんが交流があるかは調べた限りではわかりませんでした。
つまり、「倖田來未」さん、「倉木麻衣」さんとの関係は、どちらも週刊誌がスクープとして飛びつくようなものではなかったということですね。
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赤松真人のこれまでの成績や年俸について
赤松選手は、2004年ドラフト6位で阪神から指名を受け契約金5000万、年俸800万で契約します。
1年目の2005年のシーズン終盤に1軍デビューをしていますが、ほとんどを2軍で過ごしました。
でも、その2軍で打率.363、7本塁打、29盗塁で、いきなりウエスタン・リーグ首位打者・盗塁王・最多得点・最高出塁率の4冠を達成したんです。
その後も、2軍でではあるものの打率1位・最高出塁率、盗塁王になり、2007年には1軍で8盗塁を記録し着実に力をつけていっていました。
次の年こそ1軍での飛躍の年かと思いきや、カープからFA宣言をした「新井貴浩」選手の人的保障としてカープに移籍することになります。
高校の時から赤松選手に注目していたカープは、プロテクトリストに赤松選手の名前がなかったから迷わず選んだんでしょうね。
大学進学せずにプロ入りの場合、カープに指名されていたでしょうから、やはりカープと縁があったのだと思ってしまいます。
カープに移籍して出場試合数が大きく伸び、2008年から2010年までの3年間で100試合以上に出場しました。
2008年には高い盗塁成功率を記録し、2009年には得点圏打率が3割を越え、2010年には規定打席にこそ届かなかったものの、ゴールデングラブ賞を受賞しています。
出典:http://column.sp.baseball.findfriends.jp/
2011年から2016年までは毎年80試合以上に出場し代走、守備固め、代打、スタメンとあらゆる役割をこなしてチームに貢献していますね。
そして守備率が1.000を記録し続けています!
つまり失策が0で、1.000ではない年も2年のみで、通算でもわずか6しか記録していません。
代走のスペシャリストのイメージが強いですが守備面も素晴らしいですね。
2017年はガンの手術と抗がん剤治療で1軍出場はありませんでしたが、3軍で体力を取り戻してまた1軍で活躍して欲しいですね。
これまでの年俸推移を見ると阪神時代はずっと800万でした。
カープに移籍後は960万→1800万→2700万→3100万→2900万→2800万→2800万→2800万→3300万→3600万と変動しています。
赤松真人の家族って?
結婚前の家族構成は両親と兄、姉がいて赤松選手は末っ子として生まれ育っています。
確かに、何だかかわいがられそうなタイプですよね。
野球を始めたのも兄の影響だったようですが、お兄さんは調べた範囲では野球関係の道には進まなかったみたいです。
現在の赤松選手の家族は、奥様と息子さんの3人家族です。
奥様とは立命館大学時代に知り合い、カープに移籍する直前の2007年12月に入籍しています。
出典:https://carp.ho2.info/
結婚前は奥様はミス茨城になったこともあり、元歌手というか歌唱指導をしていたようです。
奥様を含め、3人も歌を仕事にする女性と関わりがあるというのもすごいですね。
ですが、結婚直後にチームが変わってさぞびっくりしたでしょうね。
でも奥様の父が、元々カープファンだそうで、もしかしたら奥様は内心嬉しかったかもしれません。
カープでFA権を取得しても行使せず残留したのも、奥様サイドの影響があったのでしょうか。
ちなみに赤松選手のガンが判明したのは、奥様が赤松選手に言わずに人間ドックを予約したことがきっかけだとか。
何でも人間ドックを受けるよう勧めても断られると思ったからだそうですが、赤松選手は奥様のおかげでガンが見つかったんだから受けてよかったですね。
息子さんですが、写真がネットにありましたが赤松選手そっくりでかわいいです。
出典:http://vivivigirl.com/
最後にまとめ
いかがでしたか?
赤松真人選手について簡単にまとめると
②倖田來未さんとは中学の同級生であり、野球部で2人で二遊間を組んでいて、倉木麻衣さんとは大学時代同じクラスで授業を受けていた。
③阪神時代の下積みがカープで飛躍し、現在は代走、守備固め、代打、スタメンとあらゆる役割こなし守備率は2011年以降ずっと1.000。
④結婚前の家族は両親と兄、姉。現在は奥様と息子と3人家族で、奥様は大学時代に知り合い元歌手。奥様の父がカープファンである。
といったところでしょうか。
現在、抗がん剤治療の後からずっと3軍でリハビリをしている赤松選手。
ガンから復帰した初の選手となって、また1軍でスピードスターっぷりを発揮して欲しいですね!
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