大隣憲司は何故戦力外に!?成績と年俸は?難病や手術の詳細も!

ークスでかつて「ホールトン」選手、「杉内俊哉」選手、「和田毅」選手が立て続けに退団した時期がありましたね。

その時に左腕のエースと期待された投手と言えば

『大隣 憲司(おおとなり けんじ)』選手ですね!

通算52勝を誇る左腕で、ドラフト時はカープ以外の11球団が獲得を検討したほどの選手でしたね。
しかし2017年10月、戦力外通告を受けてしまいます。
2013年に診断された難病の影響かとも思いましたが、2014年には復活登板を果たしていますよね。
どうしてこれほどの投手が戦力外通告を受けてしまったのでしょうか。

かつては左腕のエースを期待されるほどの選手だったので、これまでの成績年俸も気になります。
そんな大隣憲司選手について難病の詳細手術についても詳しく調べてみました。

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大隣憲司のプロフィール

大隣憲司
出典:http://www.sankei.com/
名前:大隣 憲司(おおとなり けんじ)
出身地:京都府京都市南区
生年月日:1984年11月19日
身長:175cm
体重:89kg
プロ入り:2006年希望入団枠
デビュー:2007年6月9日

まり聞かない名字だなと思い、調べてみたら全国に800人弱しかいないレア名字でした。
比較的鹿児島県の知覧のあたりに多い名字らしいんですが、大隣選手は出身は京都です。
もしかしたら親や、さらに先祖にあたる人に鹿児島出身者がいるのかもしれませんね。

そんな大隣選手は、小学生の入部が認められない年齢から熱意で入部し、外野手として野球を始めました。
3年生で投手に転向し、中学時代には硬式野球で全国大会も経験しています。
高校は地元の京都学園高校に進学し、3年春の近畿大会で毎試合2桁奪三振を記録しています。
ドクターKの異名をとれそうな記録ですよね。

その後、近畿大学に進学し、3年時の全日本大学選手権で何と大会新記録となる1試合19奪三振を記録したんです。
27個のアウトのうち19個が三振、3分の2以上なんてすごいですよね!
この大会では自責点0で最優秀防御率特別賞を受賞しています。

世界大学野球選手権の代表にも選出されたりして、大学通算の成績は関西学生リーグで41試合に登板、22勝11敗、防御率1.14、284奪三振でした。
2006年のドラフト最大の目玉と言われたようですが、それも納得の成績ですよね。
2006年の希望入団枠で、ホークスに入団することになりました。

大隣憲司は何故戦力外に?

隣選手は1年目こそ期待にこたえられなかったものの、度重なる体調不良や不幸が重なった2011年を除く2012年までは20試合以上に登板しています。
2008年と2012年には2桁勝利に到達し、ローテーションを守っていく投手になるであろうと思ったことでしょう。
しかし2013年、難病にかかっていることが判明し、手術と長期離脱を余儀なくされてしまいました。

大隣憲司の難病とは
出典:https://www.nishinippon.co.jp/

2014年に復活登板を果たし、その後先発で完封勝利を挙げるもののホークスの厚い選手層で先発ローテーションから抜けてしまうと、そこに入るのは容易ではないですね。
さらに2015年に順調に勝ち星を積み上げていたところ左肘関節に炎症が起こってしまい、離脱を余儀なくされてしまいます。
これによりさらに先発ローテーションが遠いものとなってしまいました。

沢村賞を受賞している同僚の「攝津正」選手が2017年敗戦処理で投げるくらいですからホークスの先発ローテーションに入るのは他の球団より厳しそうです。

1軍での出場機会に恵まれず、2軍でも際立った成績を残せないとなると、戦力外となってしまうのもやむを得ないのかもしれません。

大隣憲司が戦力外通告
出典:https://www.akavideos.com/

しかしまだまだやれそうに見えますし、大隣選手もやれると思ったようですね。
11月15日の12球団合同トライアウトに参加しています。
実績のある選手は受けずにオファーを待つ中、大隣選手は実績がある部類に入るのに受験したんです。
トライアウトを視察したスカウトも大隣選手はよかったと言っていましたね。
しかしトライアウトから1週間経過しても大隣選手の次の所属球団は決まりませんでした。
この後どこかから声がかかってほしいですね。

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大隣憲司のこれまでの成績と年俸は?

隣選手は2006年希望入団枠でホークスに入団しています。
評価としてはドラフト1位ですよね。
契約金1億年俸1500万で契約し、背番号は28に決まります。
これは大隣選手のどっしりした体型から「近大の江夏」と言われたことに由来しているのだとか。
1年目はキャンプ前や開幕前にケガをした影響で開幕1軍には入れませんでしたが、6月9日の1軍デビュー日に交流戦でカープの「黒田博樹」選手と投げあいプロ初勝利を手にしています。
しかし他に勝てたのは8月に1勝のみで8試合に登板、2勝4敗の防御率5.98と期待にこたえることができない内容となってしまいました。

2年目からは3年連続で先発ローテーションに入り、2年目に11勝8敗と2桁勝利を記録するも、3年目と4年目は8勝10敗、4勝9敗と負け越してしまいます。
3年目はケガの影響、4年目は打線の援護に恵まれなかったことが原因のようですね。
4年目の2011年はインフルエンザや父親の他界などで調整が遅れ開幕1軍を逃し、後に1軍に昇格するもリリーフ起用されます。
しかし結果を残せず2軍落ち、7月に昇格し8回無失点の好投を見せるも球宴前で登板機会がないため再び2軍落ち、8月の昇格前に体調不良でチャンスを逃すなど2軍暮らしが続きました。
9月にようやく1軍に戻りそこから3連勝します。
この年の大隣選手の勝ち星はすべて9月のものでした。
2012年も開幕ローテーションを逃すものの、開幕直後にローテーションに入ります。

2011年オフに結婚した妻のすすめのメンタルトレーニングが功を奏したのか自身最多の12勝をマークしました。

大隣憲司のメンタルトレーニング
出典:http://blog.nishida-hatsumi.com/

QS率も何と88%をマークし、先発としての役割をきっちりこなしたシーズンとなり、クライマックスシリーズでもプロ入り初勝利をあげるなど飛躍のシーズンとなりました!

ところが2013年に難病を患っていることが判明し、2013年シーズンは絶望となりますが、10月のフェニックスリーグで実践復帰を果たしています。
2014年は難病発覚より実に406日ぶりの6月に1軍に昇格し、7月には復帰後初勝利、9月には復帰後初完封勝利を飾っています。
これで大丈夫と思ったら、2015年6月に左肘関節が炎症してしまい離脱、以降1軍登板がありませんでした。

次々と若手投手が台頭してきた影響か2016年、2017年と1軍では1度しか登板機会がなく2軍での成績も特に防御率が4点台、5点台と芳しくありませんでした。

ちなみに年俸推移ですが1500万→1350万→3350万→3500万→3500万→3000万→6300万→6000万→7300万→6800万→5500万と推移しています。
2桁勝利したシーズンと難病からの復帰後はしっかり評価してもらっていますね。

大隣憲司の難病や手術について

隣選手は2013年に黄色靭帯骨化症という難病にかかっていることが判明しました。
どのような病気かというと、簡単に言えば名前の通り黄色靭帯が骨化してしまうことで脊髄を圧迫して腰痛や下肢のしびれを引き起こす病気です。

大隣憲司の難病「黄色靭帯骨化症」
出典:http://www.ootemati.com/

大隣選手も、2013年に腰痛や腰の違和感を感じながらプレーしていたようですね。
基本は内科的治療で経過観察になるようですが、経過観察中に進行が見られたり神経症状が強い場合は手術に踏み切るとか。
大隣選手は判明してすぐ手術しているので、進行が見られたかかなり強い神経症状が出ていたということになりますね。
手術は骨化した部分を取り除き脊髄の圧迫をなくすというもののようです。
この病気にかかったことのある著名人を調べたら、ほとんどが野球選手プロレスラーでした。
国から難病指定されてるだけあって発症の原因は不明なのですが、野球とプロレスが何か関係あるのではないかと思ってしまいます。
現在楽天の副会長である「星野仙一」氏が監督時代に発病しています。
また役時代の発症者は元巨人の「越智大祐」氏や元ヤクルトの「徳山武陽」氏などですが、2人は復帰後1軍登板の機会がなく現役引退しています。
大隣選手はこの病気で1軍復帰登板、勝利、完封を果たした唯一の選手ということになりますね。

最後にまとめ

かがでしたか?
大隣憲司選手について簡単にまとめると

①アマチュア時代は三振でアウトをとるタイプだった。高校時代は近畿大会で毎試合2桁奪三振、大学通算成績は関西学生リーグで41試合に登板、22勝11敗、防御率1.14、284奪三振を記録。
②戦力外の原因は難病というよりは、難病から復帰後の左肘関節の炎症でローテーションを離れ、若手投手の台頭でなかなか登板機会がなく、2軍でも防御率が悪いなどで結果を残せなかった為。
③1年目は期待を裏切るが2年目以降はローテーションに定着。難病発症やその後の肘の炎症などで登板機会をなくしていくが通算52勝。年俸は1500万スタート、最高7300万、2017年は5500万。
④大隣選手の難病は黄色靭帯骨化症で国指定の難病。野球選手やプロレスラーに発症者が多い模様。復帰後1軍登板を果たし勝利、完封したのは大隣選手ただ1人。

といったところでしょうか。
トライアウトでもスカウトから評価されるほどの内容で、黄色靭帯骨化症から1軍に復帰できた唯一の選手です。
まだ32歳と若いので、どこか他球団に拾われてもう一花咲かせて欲しいですね。

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