日本野球界には「古田敦也」選手や「里崎智也」選手など、素晴らしいキャッチャーがいました。
2017年ロッテの監督を退任した「伊東勤」監督は、現役時代は西武に所属していて西武の黄金期を支えました。
2018年横浜DeNAベイスターズが球団初の日本シリーズに進出しましたが、横浜DeNAの前身球団の横浜ベイスターズが最後に優勝した時のキャッチャーは誰か知っていますか?
そう『谷繁 元信(たにしげ もとのぶ)』選手なのです。
谷繁選手といえば、やっぱり中日ドラゴンズのイメージが強いと思いますが、実は谷繁選手は横浜ベイスターズに所属してたこともありました。
そんな谷繁元信選手の現役時代と監督時代について、今回は紹介していきたいと思います。
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谷繁元信のプロフィール
出典:https://baseballking.jp/
出身地:広島県比婆郡庄原市
生年月日:1970年12月21日
身長:176cm
体重:81kg
プロ入り:1988年 ドラフト1位
所属球団:横浜ベイスターズ (1989 – 2001)
中日ドラゴンズ (2002 – 2015)
監督歴:中日ドラゴンズ (2014 – 2016)
デビュー:1989年4月11日
谷繁元信選手といえば中日ドラゴンズの黄金期を支えた名キャッチャーの一人でもあります。
現在解説として活躍し現役時代はロッテの正捕手として有名だった里崎智也選手は谷繁選手のことを「自分が見た中で1番すごいキャッチャー」と評すほどすごいキャッチャーです。
谷繁選手は子供のころは巨人ファンで巨人の監督も務めた「原辰徳」選手に憧れていたそうです。
谷繁選手は高校時代2度も甲子園に出場していています。
谷繁選手は中学生のころには広島県の野球関係者には名前が広まっていて注目の的となっていました。
谷繁元信の横浜ベイスターズ時代!マシンガン打線の一人
谷繁選手は中日ドラゴンズのイメージが強いですが実は横浜DeNAベイスターズの前身球団となった横浜ベイスターズにも所属していました。
谷繁選手は1988年にドラフト1位で横浜ベイスターズに入団しました。
1年目からなんと80試合にも出場しマスクを被りました。
しかし肩は強かったもののバッテイングと守備面はあまり良くなく当時の横浜ベイスターズの守護神「佐々木主浩」選手のフォークが捕れず他のキャッチャーに交代されることもありました。
佐々木選手のフォークのキレはとてもすごく現在のプロ野球選手でいうとソフトバンクの「千賀滉大」選手を想像してもらえばいいと思います。
しかしプロ5年目から横浜ベイスターズの正捕手として大きく成長しました。
それまではバッテイングや守備面、リード面で心配されていましたが大きく成長し毎年100試合出場し横浜ベイスターズの正捕手として約10年間近く活躍しました。
1998年に横浜ベイスターズが優勝した時は「鈴木尚典」選手が4番に座り「石井琢朗」選手がリードオフマンを務めたマシンガン打線の一人としても活躍しました。
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谷繁元信の中日ドラゴンズ時代!中日黄金期を支えた正捕手!
横浜ベイスターズ時代はチームの正捕手として活躍しチームのリーグ優勝にも貢献しました。
しかし谷繁選手はFA宣言し中日ドラゴンズにFAすることになりました。
FAした1年目は早速正捕手として定着し低打率も自己最多の24本塁打、78打点とキャリアハイの成績を残しました。
その後は低打率も長打力が魅力の勝負強いキャッチャーとして活躍しました。
谷繁選手は当時の「落合」監督からも信頼され中日の監督が落合監督がだったときは正捕手として活躍しました。
横浜ベイスターズ時代と比べると谷繁選手はリード面も守備面でも大きく成長しました。
それが表れたのが2011年のポストシーズンでした。
2011年シーズンのポストシーズンはヒットを1本も打てず、日本シリーズでも23打席連続無安打のワースト記録を樹立してしまいました。
しかし、投手陣は強力なソフトバンク打線を抑えました。
日本一にはなれませんでしたがクライマックスシリーズは勝ち抜くことができました。
落合監督は谷繁選手について「バッテイングはダメだったが守備面に集中してくれた」と評価してくれました。
谷繁元信の兼任監督としての成績は?引退し専任監督に
2013年に退任した落合監督がGMと中日に復帰することになりました。
そして落合GMの推薦によって「高木」監督にかわり谷繁監督が中日の監督になりました。
しかしただの監督では選手との兼任監督として監督に就任しました。
キャッチャーの選手兼任といえば「古田敦也」監督がいましたがそれから7年ぶりの選手兼任監督の就任となりました。
しかし2015年には自分の出場を控え他の若手キャッチャーの「杉山翔大」選手や「桂依央利」選手を積極的に起用するようになりました。
谷繁監督本人の出場試合数は30試合にも出場することはできませんでしたがこの若手の起用はきっと未来につながることでしょう。
この2人の若手キャッチャーが出てきたことから谷繁監督は選手を引退して選手兼任監督ではちゃんと専任監督として監督をやることになりました。
谷繁監督はあの野村克也氏の出場試合数(野村克也氏の出場試合数は2921試合)を更新し歴代一位の3021試合に出場しました。
通算安打は2108本と2000本安打もクリアしました。
晩年は試合出場は少なかったのに3000試合を超える3021試合に出場したことはすごいと思います。
最後にまとめ
いかがでしょうか?
谷繁元信選手について簡単まとめると
②横浜ベイスターズのマシンガン打線の一人として活躍し、チームの優勝にも貢献した約10年完成捕手として活躍。
③中日ドラゴンズにFA移籍した。中日ドラゴンズでも正捕手として活躍。横浜ベイスターズ時代はリード面、守備面に心配があったがさらに成長し中日ドラゴンズの黄金期を支えた。
④退任した落合監督がGMに就任することがきっかけで選手兼任監督として監督に就任した。野村克也氏の出場数(2921試合)を更新し歴代1位の3021試合に出場した。堂々の3000試合超え。
谷繁監督は名キャッチャーとして中日と横浜の優勝に貢献してきたんですね。
これからは解説者としての活躍に期待です。
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