岩隈久志は楽天の初代エース!近鉄時代と楽天時代の成績に迫る!

天ゴールデンイーグルスの創立選手メンバーであり、開幕投手を任された初代エースと言ったら

『岩隈 久志(いわくま ひさし)』選手ですね!

楽天以外にオリックス・近鉄にも所属していた選手です。

そんな岩隈選手は、現在メジャーリーグに挑戦中。

今回は、メジャーに挑戦する前の岩隈選手の近鉄時代楽天時代の成績に迫ってみましょう!

[quads id=1]

岩隈久志のプロフィール

岩隈久志
出典:https://full-count.jp/
名前:岩隈 久志(いわくま ひさし)
出身地:東京都東大和市
生年月日:1981年4月12日
身長:190cm
体重:95kg
プロ入り:1999年 ドラフト5位
所属球団:大阪近鉄バファローズ (2000 – 2004)
オリックス・バファローズ (2005)
東北楽天ゴールデンイーグルス (2005 – 2011)
シアトル・マリナーズ (2012 – 2017)
デビュー:2001年5月29日

隈久志選手は1999年。
近鉄バファローズにドラフト5位指名で入団します。
ドラフト5位って指名順位としては低めですよね。
ドラフト5位下位指名を受けるも岩隈選手はメジャーで活躍するほどの選手になりました。

そもそも現在近鉄という球団はありません。
この近鉄ってどんな選手がいたの?という人もいるでしょう。
近鉄には、現在開誠館高校でコーチを務める「中村紀洋」選手や、現在楽天の監督を務める「梨田昌孝」監督や、のちに楽天に移籍する「磯部公一」選手も元近鉄の選手でした。

岩隈久志の近鉄時代の成績は?

隈久志選手は1999年ドラフトで5位指名を受け、大阪近鉄バファローズに入団しました。
このドラフトでは、現在日ハムでメジャーにも挑戦した「田中賢介」選手や、メジャーに挑戦して現在ソフトバンクの「川崎宗則」選手などが指名されました。
どの選手も有名な選手ですね。

岩隈選手は高校時代は目立った活躍をすることができませんでした。
しかし1年目から150km/h近いストレートを投げるなど期待されていました。
岩隈選手は3年目に先発ローテに定着するも、二桁勝利に届かず残念な結果に終わりました。
当時の近鉄は先発が少なかったため、他のチームと比べたら先発ローテに定着しやすかったのかもしれません。
しかしチーム事情で活躍した岩隈選手も4年目は大きく成長します。

4年目となった2003年には、チーム最多となる15勝を挙げる成績!
なによりすごいのは10完投という数字。
10完投ってすごいですよね!
2017年の最多完投は則本選手の8完投で、2017年沢村賞の巨人の「菅野智之」選手は6完投なので、この10完投のすごいさがよくわかると思います。

[quads id=2]

岩隈久志の楽天時代の成績は?

隈久志選手は2005年から楽天に移籍することになったのですが、その移籍のきっかけは何か知っていますか?

岩隈選手が近鉄から楽天に移籍することになったきっかけは、「プロ野球再編成問題」
今回はそこまで触れることはありませんが、プロ野球初の「ストライキ」など大きな問題となりました。

岩隈選手は楽天が創立された初年度に移籍したので、岩隈選手は楽天の初年度のメンバーの一人ということですね。
岩隈選手は球団創立1年目の開幕投手に指名されます。
楽天の最初の先発は「岩隈久志選手」ということです!すごいですね!
岩隈選手は楽天ゴールデンイーグルスの初代エースとなりました。

しかしシーズン途中から肩を故障し、防御率は規定投球回到達投手の中ではワーストの4.99という数字に。
また二桁勝利に届かず15敗もすることになりました。
その後2年間も故障が原因で二桁勝利に届くことはありませんでした。
近鉄ではエースだった岩隈選手は、なぜ楽天の初期では活躍できなかったのでしょうか?

岩隈久志はなぜ活躍できなかったのか? その後の成績は?

隈久志選手は全く活躍できなかったわけではありません。
1年目は9完投もし、200イニングには到達せずとも180イニング超え。
そこそこの活躍はすることができました。
しかし2年目、3年目は先発ローテに定着することもできませんでした。
それはなぜか?

近鉄ではエースとして活躍していたのに?と疑問に感じる人もいるでしょう。
この年の楽天は他球団を戦力外や自由契約となった選手を多く獲得していました。
球団創立ということで選手を集めなくてはならなかったんですね。
もちろん投手も例外ではありませんでした。
すでに疲弊、疲れていた投手も多く、先発しても試合を壊す選手もたくさんいました。

ヤクルトでの実績があり、過去には最多勝に輝いた「ケビン」選手や、新人の「一場靖弘」選手もいましたが、二人とも成績が悪く岩隈選手に負担をかけることになりました。
結果、この楽天創立初年度の投手で規定投球回に到達したのは岩隈選手ただ一人。
結果的に岩隈にかかる負担は大きく、この年のチームの不振や翌年の故障離脱につながってしまいました。
ではその後岩隈選手は活躍できなったと言われればそうではなく、2008年には最多勝となる21勝という成績も残しました。

最後にまとめ

かがでしょうか?
岩隈久志選手について簡単にまとめると

①1999年近鉄バファローズにドラフト5位指名で入団。中村紀洋選手や梨田昌孝監督、磯部公一選手が近鉄にいた。
②近鉄では4年目から大きく成長し、15勝を挙げて10完投も達成した。
③楽天の創立メンバー。開幕投手を任され楽天ゴールデンイーグルスの初代エースに。しかし故障が原因で活躍はできず。
④岩隈選手に大きな負担がかかり活躍できず。しかし2008年には21勝、最多勝投手となった。

楽天の初代エースであった岩隈選手。
現在は、メジャーで活躍する選手の一人です。
これからの活躍に期待です!

[quads id=4]