石井琢朗がヤクルトのコーチに!?現役時代(横浜・広島)の成績は?

2017年シーズンもセ・リーグを制しリーグ優勝をした広島カープ。

これでセ・リーグを2連覇しました。

監督は「緒方」監督ですが、広島カープの優勝を支えた監督がいました。

それは『石井 琢朗(いしい たくろう)』コーチでした。

石井琢朗選手は現役時代は横浜ベイスターズと広島カープに所属していました。

2018年から広島カープからヤクルトスワローズのコーチに代わることが決まりました。

今回は石井琢朗選手の現役時代(横浜・広島)について迫ってみましょう!

[quads id=1]

石井琢朗のプロフィール

石井琢朗
出典:http://sp.baseball.findfriends.jp/
名前:石井 琢朗(いしい たくろう)
出身地:栃木県佐野市
生年月日:1970年8月25日
身長:174cm
体重:78kg
プロ入り:1988年 ドラフト外
所属球団:横浜ベイスターズ (1989 – 2008)
広島東洋カープ (2009 – 2012)
デビュー:1989年4月13日

井琢朗選手は小学生の時に野球を始めたようです。
プロでは内野手として活躍しましたが、高校生の時は投手として活躍しました。
2年生の夏は甲子園にチームのエースとしても出場しています。
高校3年生の時にプロからドラフトの誘いがかかっていましたが、東洋大学への進学が決まっていたので、ドラフトではどの球団からも指名されることはありませんでした。

しかし半ば強引な形で、1988年のオフに横浜ベイスターズに入団。
プロ入り後は投手としても活躍しましたが、内野にコンバートしました。
石井選手は、その後広島カープに移籍し、2012年に引退しました。

石井琢朗は投手としてプロ入り!? 内野にコンバートするまで

ラフト外で入団した石井琢朗選手。
石井選手が入団した時は投手として登録されていました。
しかしその後、内野にコンバートすることになりました。
プロ1年目で、のちに移籍することになる広島カープにプロ初勝利もしました。

首脳陣からは「桑田真澄2世」などとも言われました。
「桑田」選手は巨人でエースとして活躍した選手です。
高校時代は4番が「清原」選手、エースは桑田選手のKKコンビと呼ばれていました。
その桑田選手の2世とも言われた石井選手ですが、投手としての道をあきらめることになります。

石井選手は2軍ではほぼ無双状態。
2軍では活躍することができていましたが、1軍に上がるとなかなか活躍することができませんでした。
そもそも石井選手は野手願望があったようで、投手ではなく野手として野球をやりたかったそうです。
当時の監督も石井選手のことを野手としても評価していました。
最初は当時の監督である「須藤豊」監督に野手への転向を拒否されたこともありましたが、石井選手のバッテイングセンスが評価されプロ4年目に内野にコンバートされました。

[quads id=2]

石井琢朗の現役時代の成績は?

井琢朗選手は投手としての道を諦め、野手としての道を進むことにしました。
プロ4年目から本格的に野手に転向。
石井選手はサードにコンバートしました。

野手にコンバートして2年目からサードのレギュラーとして活躍します。
盗塁王ゴールデングラブ賞も獲得!
ちなみにゴールデングラブ賞は、この年から3年連続で獲得することになります。

もともと投手だった石井選手は、バッテイングセンスを評価されて野手にコンバートしたと思われていますが、守備のセンスもあったようです。
石井選手は2番サードとして定着しましたが、2番だけではなく1番も打つこともありました。
チームのリードオフマンとして活躍。
1996年は「大矢」監督が新監督して就任し、監督の意向によって石井選手はショートにコンバートしました。
その後はショートのレギュラーとして活躍しました。
慣れないショートの守備でコンバート1年目は打撃成績を落としましたが、40盗塁も記録。

そして、石井選手は1998年は選手会長に就任しました。
当時マシンガン打線と呼ばれていたチームの1番を打ち、最多安打と盗塁王のタイトルを獲得。
チームのリーグ優勝にも貢献しました。

石井琢朗は広島カープに移籍!晩年の活躍は?

ョートのレギュラーとして活躍した石井琢朗選手。
石井選手は、約10年間という長い間、横浜ベイスターズのショートのレギュラーとして活躍しました。

「石川雄洋」という選手をあなたは知っていますか?
石井選手は長年ショートのレギュラーとして活躍しましたが、2008年に石川選手がショートにコンバートしたことがきっかけで石井選手の出番が少なくなっていきました。
石川選手はサードを守っていましたが、当時のサードには4番の「村田修一」選手がいました。
石井選手はこの年に球団から引退勧告(引退するように言うこと)を言われましたが、現役を続けたいということでチームを去ることになりました。

そして移籍先が広島カープに決まり、石井選手は広島に移籍することに。
広島ではチームを支えるベテランとして活躍
2012年には引退することになりました。
引退試合では古巣の横浜ベイスターズ相手。
チームメイトだった横浜の「三浦大輔」選手と「金城龍彦」選手から花束を受け取りました。

その後は広島のコーチに就任し、2016年、2017年のリーグ優勝に貢献しました。
そして2018年からはヤクルトのコーチに就任しました。

最後にまとめ

かがでしょうか?
石井琢朗選手について簡単にまとめると

①ドラフト外で入団。高校2年の時には投手として甲子園にも出場した。東洋大学への進学が決まっていたのでドラフトでは指名されず
②投手として石井選手はプロ入り。しかし1軍では結果が残せず野手への転向を決める
③サードのレギュラーとして石井選手は定着。その後ショートにコンバート。チームの1番を打ち1998年のリーグ優勝にも貢献した
④石川雄洋選手がショートにコンバートしたことがきっかけで出番が減る。引退勧告を受けるが現役を続けることに。チームを去り広間氏に移籍

2018年からヤクルトスワローズのユニフォームに袖を通した石井琢朗選手。
ヤクルトもリーグ優勝に導き、広島ではできなかった優勝を目指してほしいですね。

[quads id=4]