2016年シーズン、「アレックス・ラミレス」新監督が就任してから横浜DeNAベイスターズの成績が上がりクライマックスシリーズに進出しました。
最近野球ファンになった人は、横浜DeNAは「強い球団」というイメージが強いかもしれません。
しかし、横浜DeNAが強くなったのはつい最近のこと。
横浜DeNAベイスターズ、その前身球団の横浜ベイスターズ、大洋ホエールズともに弱小球団でした。
そんな弱小球団であった、大洋ホエールズのエースとして活躍した選手がいました。
それは、『平松 政次(ひらまつ まさじ)』選手です。
あのレジェンド・長嶋茂雄選手が当時苦手としていたのが、平松政次選手なんです。
伝説として今も話題になっている、平松政次選手の「カミソリシュート」の誕生秘話にも迫ってみましょう!
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平松政次のプロフィール
出典:https://news.yahoo.co.jp/
出身地:岡山県高梁市
生年月日:1947年9月19日
身長:176cm
体重:74kg
プロ入り:1966年 第2次ドラフト2位
所属球団:横浜大洋ホエールズ (1967 – 1984)
デビュー:1967年8月16日
平松政次選手は1966年に大洋ホエールズに入団しました。
当時は横浜大洋ホエールズという名前ではなく、大洋ホエールズという名前でした。
平松選手は高卒選手としてドラフトに出て中日から指名を受けましたが、それを拒否して社会人チームに進みました。
そのため平松選手にとっては2度目のドラフトでした。
平松選手が引退したのは1984年。
もう30年以上前の選手になります。
当時のチームはとても弱く、そんな弱小球団のエースとして活躍した平松選手。
チームが弱くても大洋ホエールズから去ることはなく18年間の現役生活を大洋ホエールズで送りました。
そんな平松選手はどんな選手だったのか迫ってみましょう!
平松政次は巨人に入団する予定だった!? なぜホエールズに?
平松政次選手は、1966年に大洋ホエールズから第2次ドラフトで2位指名を受けプロ入りしました。
当時のドラフトは昔とは少しやり方が変わっていました。
さきほど紹介した通り平松政次にとって、これは2度目のドラフトでした。
平松選手は1965年のドラフト会議に出て、中日ドラゴンズから4位指名を受けていましたが、社会人チームに進むことを決めました。
社会人時代は当時のチームのエースとして活躍。
そして翌年、平松選手は再びドラフト会議に出場します。
出典:http://column.sp.baseball.findfriends.jp/
今回のドラフトは、すでに巨人がドラフト1位で平松選手を指名すると本人に言っていたようでしたが、結局指名されず大洋ホエールズからの指名を受けました。
巨人が平松選手の指名をやめ、1位指名した選手は「槌田誠」という選手でした。
一方、その槌田選手が活躍したかというとそうではありませんでした。
平松選手が大洋ホエールズのエースとして活躍する一方で、槌田選手は代打としての出場が主でした。
結局槌田選手は巨人の主力選手として活躍することはなく、約10年間の現役生活を経て引退しました。
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平松政次のカミソリシュートが伝説級! 誕生秘話も紹介
平松政次選手といえば、「カミソリシュート」でしょう。
このカミソリシュートは、平松選手の代名詞となるほどの武器になりました。
ではこのカミソリシュートはどのようにして生まれたのでしょうか?
出典:https://middle-edge.jp/
平松選手がシュートを投げたのはプロに入ってからのことでした。
平松選手はプロ入り後プロの壁にあたりなかなか活躍できないでいました。
そんなある日のこと。
1軍での練習が雨で体育館で行われた際、打線の主軸を担っていた選手である「近藤和彦」選手と「近藤昭仁」選手から「こんなボールしかないの?」と言われた平松選手。
それに怒った平松選手が「シュートもあります!」と言い、シュートを投げたことが始まりでした。
(当時の平松選手は主にカーブとストレートしか投げていなかった)
ぶっつけ本番で投げたこともないシュートを投げたのですが、これが思った以上の鋭いボールでした。
これが平松選手の代名詞となった「カミソリシュート」誕生のきっかけでした。
平松政次は巨人キラー? 長嶋茂雄の苦手投手だった!
平松政次選手は大洋ホエールズのエースとして活躍しましたが、平松選手にとって得意としていた球団がありました。
それは本来指名するはずだった、読売ジャイアンツ、巨人でした。
ちなみに平松選手の巨人通算成績は51勝にもなります。
これは対巨人成績の中で歴代2位になります。
(一位は「金田正一」選手)。
平松選手は通算201勝に対し、巨人での通算成績が51勝と現役時代の勝ち星の1/4以上を巨人から挙げています。
特に、「長嶋茂雄」選手が平松選手のことを最も苦手にしていました。
出典:https://www.zakzak.co.jp/
長嶋選手と平松選手の通算対戦成績は、181打数35安打8本塁打、打率.193、三振33、内野ゴロ65(内併殺打7)と圧倒的でした。
長嶋茂雄選手は有名なレジェンドですが、そんなレジェンドにも負けない平松選手でした。
また長嶋選手は平松選手に対して、25打数無安打の時期もありました。
長嶋選手は、平松選手の200勝達成記念パーティで「あの頃は寝てもさめても平松のシュートが頭から離れなかった」とコメントしています。
平松選手は200勝達成投手ですが、大洋ホエールズの投手ではたった一人の200勝達成投手です。
それほど当時の大洋ホエールズは弱かったのです。
最後にまとめ
いかがでしょうか?
平松政次選手について簡単にまとめると
②平松選手は本来巨人から指名される予定だったが、結局大洋ホエールズから指名を受ける。1度目のドラフトは中日ドラゴンズから指名を受ける。
③平松選手の代名詞となった「カミソリシュート」。当時のチームメイトに対し怒って投げたことがきっかけで生れた。
④歴代2位の対巨人戦の成績。長嶋茂雄選手が苦手としていた投手だった。また大洋ホエールズのたった一人の200勝達成投手。
平松政次選手は弱小球団のエースとして活躍した選手だったんですね。
当時の「長嶋茂雄」選手を抑えるすごい選手でした。
これからも、平松政次「カミソリシュート」の伝説は受け継がれていくでしょう!
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