プロレスラー、『スーパー・ストロング・マシン』の引退試合・セレモニーが、2018年6月19日後楽園ホールで行われました。
引退試合ではなく、10人タッグマッチが行われた中でマシン軍団のセコンドとして参加!
- S・S・マシン・No.69
- S・S・マシン・ドン
- S・S・マシン・ジャスティス
- S・S・マシン・バッファロー
- S・S・マシン・エース
VS
- BUSHI
- 高橋ヒロム
- SANAD
- EVIL
- 内藤哲也
このマシン軍団、マスクは被っていても誰だかすぐにわかりますね!
試合の方は終盤に差し掛かり、遂にS・S・マシン(本物)が、場外にて「内藤哲也」へ豪快なラリアートを炸裂!
これでチームの勝利に貢献し、会場も大いに盛り上がりました。
今回は、昭和を代表するS・S・マシンの魅力に迫ってみたいと思います。
S・S・マシンといえばあのマネージャーの存在を忘れるわけにはいけません!
その話も後ほど詳しくまとめてみました!
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スーパー・ストロング・マシンのプロフィール
出典:https://www.sponichi.co.jp/
ニックネーム:機械の中の機械、戦慄の殺人魔神
生年月日:非公開
出身地:非公開
身長:183㎝
体重:115kg
デビュー:1984年9月7日
得意技:魔神風車固め、DDT、セントーン
ご存知だと思いますので、平田淳嗣のプロフィールも
本名:平田 淳嗣(ひらた じゅんじ)
生年月日:1956年12月20日
出身地:神奈川県平塚市
デビュー:1978年8月26日
高校生の頃は柔道やボディービルで身体を鍛え、プロレスを観戦しに行った際にパンフレットに書いてあったプロレスラー募集の掲載を見つけ、「山本小鉄」に手紙で直訴したそうです。
そして入門テストに合格し、新日本プロレスに入門。
同期にはあの「前田日明」の存在が…
デビューして数年後に海外武者修行へ行き、マスクマンとして戻ってきます。
スーパー・ストロング・マシンとしてのデビュー戦、対戦相手は「アントニオ猪木」。
本人もプロレス人生の中で、強いて言うならこの一戦が一番の思い出と言っております。
人間味が溢れ、彼のことを悪く言う人はいないと言われるほどの哀愁のマスクマンでありました。
スーパー・ストロング・マシンが引退! 引退理由は?
プロレス人生40年、マスクマンとして34年!
後楽園ホールでの引退セレモニーの時は、既に試合からだいぶ遠ざかっており、最後の試合は2014年4月2日、約4年間試合をしてないことになります。
出典:https://ameblo.jp/
リング上でのあいさつでも言っておりましたが、
「生涯現役でと思ってましたけれど、さすがに古傷があちらこちらとありまして、リングで受け身もとれるような状態ではなくなってしまいました。」
やはりレスラーがどれだけ過酷な状況で戦っているかがわかりますね。
ではなぜ引退することを決断したのか?
「ケジメ」だそうです。
いままで応援してくれたファンや新日本プロレスの選手、スタッフ一同に最後のごあいさつをしたいということでした。
このときマスクで顔の表情はわからない筈なのに、気持ちが充分伝わった気がします。
マシンの人間性が滲み出ていました。
もう機械ではなくなっていたのかも?
最後に10カウントゴング…。
そしてテーマ曲「ハリケーンズ・バム」
ここで曲を遮り、ある告白をすることに…
「28年間連れ添った我が妻・マサミがガンで亡くなり、天国へ旅立ちました。」
そしてマイクを置き、地声で「マサミ―、ありがとう!」
この悲しさともケジメをつけなければならなかったのでしょうね!
これから新たな人生のスタートがはじまります。
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スーパー・ストロング・マシンの名言や魅力は?
ここからは今一度マシンの魅力について、語らせていただきたいと思います。
まずはこのネーミング!
単純明快で、だれにでもわかりやすい。
ようするに「最強機械」ってことですよね。
さらに、このマスクは本人以外の多くの人が被っていました。
中でも印象深いのが、「桜庭和志」選手の「サクマシーン」でしょうか。
PRIDEのリングでの入場シーンで被っていましたね!
その他にも「アンドレ・ザ・ジャイアント」などの多くのレスラーが被るほど、愛されていたことがわかります。
次に取り上げたいのが、あの名言でしょう!
「こんなしょっぱい試合ですいません!」
これは自身が不甲斐ない試合をした際に、自然と出た言葉だそうです。
プロレスをあまり知らない方はよくわからないかもしれませんが、特に往年のプロレスファンの中では有名なひとシーンであり、大切な思い出でもあります。
そして何といっても一番の魅力は、「No.2に徹する覚悟と勇気」があったことではないでしょうか。
誰もがNo.1になりたくて日々努力している中で、ここまで引き立て役にまわった選手はいないでしょう。
出典:Twitter
渡り歩いたユニットの数はいざ知れず。
No.2でもプロレスを盛り上げることはできるということをわからせてくれたのが、マシンではないでしょうか。
先ほどのあの名言も「蝶野正洋」を引き立てるための試合での出来事なのです。
これがみんなから愛される理由でもあり、No.1じゃなくてもみんなの記憶に残るレスラーであるのではないでしょうか。
スーパー・ストロング・マシンの名物マネージャーについて
ここで忘れてはならないのが、マシン軍団を率いていたマネージャーの「将軍KYワカマツ」の存在ではないでしょうか?
赤や白のコスチュームで帽子をかぶり、黒いサングラス、ムチを振り回しながら拡声器で叫んでいる姿が、目に焼き付いている人は多いでしょう。
猪木さんや藤波さんを苦しめていましたね。
出典:Instagram
マシンにとっては切っても切りはなせない存在で、彼のお陰でヒール軍団がさらなる人気レスラーへと飛躍できたのです。
そんなワカマツも元々はプロレスラー!
国際プロレスに所属してました。
レスラーとしての活躍はあまり無く、選手から悪役レスラーのマネージャーとして、マシン軍団やアンドレ・ザ・ジャイアントと共に人気を博していました。
その後故郷でもある北海道の芦別市にて、1999年から市議会議員を4期務めたそうです。
選挙の時も「あの若松さん!?」と皆さんの記憶に残っていたそうで、はじめての選挙から当選!やっぱり有名人でしたね。
でも1番驚いたのが、実は真面目な人でした。
この人もまたワキ役ではありますが、主役をさらに引き立てプロレスを盛り上げてくれたひとりでもあります。
しかしあのインパクトは、主役をも上回ってしまうほどに強烈でした。
最後にまとめ
いかがでしたか?
スーパー・ストロング・マシンについて簡単にまとめると
②引退試合では、機械なのに最後は妻へ「感謝の言葉!」。
③ネーミングからマスクにいたり、誰からも愛される存在!(機械なのに感情や気持ちが充分に伝わる)。
④名物マネージャーの「将軍KYワカマツ」は誰もが記憶に残るほどの強烈さ!でも実は真面目。
本人の口から「マシンは今日で消えます」と言われました。
そして最後の引退セレモニーでは、名参謀の将軍KYワカマツと共に現れたことがファンの記憶を再び蘇らせてくれました。
「ゴー・マシン・ゴー」「ゴー・マシン・ゴー」スーパー・ストロング・マシンと将軍KYワカマツさんへ
「良き思い出をありがとう!」