いわゆる松坂世代で「南国のドクターK」と称された選手と言えば、
『杉内俊哉』選手ですね。
最近は打たせて取る投手が増えていますが、三振でアウトをガンガンとる投手って魅力的だと思いませんか?
打たせて取るタイプはチームプレーって感じでいいんですが、三振を取るタイプは自力で相手を押さえ込んでいるまさにエースにふさわしいスタイルですね!
そんな杉内選手ですが、FAでホークスから巨人に移籍しています。
「選手に対して愛情がない」などと、かなり過激な発言をしての移籍だったので、ソフトバンクと一体何があったのか…
あなたも気になりませんか?
そこで今回は、杉内選手のホークス時代のことだけではなく、嫁との馴れ初めや弟、これまでもらった年俸についても合わせて調べてみました。
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杉内俊哉のプロフィール!「南国のドクターK」の経歴
出典:http://www.ad-vank.com/
出身地:福岡県大野城市
生年月日:1980年10月30日
身長:175cm
体重:82kg
プロ入り:2001年ドラフト3位
初出場:2002年4月1日
小学4年の時に「大野城少年野球」に所属して野球を始め、6年生で投手になるまでは外野手→一塁手をしていたそうです。
中学では「大野城ガッツ」に所属し全国大会準優勝を経験していますね。
鹿児島工業高校時代には、県大会で47回2/3で64三振ものを奪い「南国のドクターK」と称されるようになります。
この頃から三振でアウトを取る投手だったんですね!
甲子園では、お母さんの誕生日にノーヒットノーランも達成しています。
その後、「AAAアジア野球選手権大会日本代表」に選出され優勝に貢献しました。
そのメンバーには、「松坂大輔」や「新垣渚」、「村田修一」とプロで活躍した選手がズラリ。
豪華な代表メンバーですよね。
高校卒業後は「三菱重工長崎」に就職し、シドニーオリンピック代表に選出されています。
現在はプロばかりですが、当時はアマチュア選手もオリンピック代表になれたんですよね。
そして、ドラフト3巡目でホークスから指名を受け入団しました。
ドラフト1位でもおかしくない経歴なので、ドラフト3位なのは驚きでした。
杉内俊哉のホークス時代は?「利き手はやめろブルガリア!」事件についても
ルーキーイヤーは、2軍でじっくり鍛えられたようで、ローテーションに定着するのは2年目からになります。
2年目に10勝を上げ、日本シリーズでも2勝し日本一に貢献するなど活躍し始めます。
しかし、3年目はいわゆる「利き手はやめろブルガリア!」事件でこのシーズンを棒に振ってしまいました。
これは杉内選手が試合開始早々に炎上してしまい、降板後悔しさのあまりベンチを素手で殴り両手小指を骨折してしまったというもの。
当時ホークスの捕手だった「城島健司」氏が「利き手はやめろ、ブルガリア!」と杉内選手を制止したと、ある新聞紙が報道した為そのように呼ばれています。
このブルガリアって何なのか…
ちなみに新聞紙は後に、この「ブルガリア」という表記を削除しています。
杉内選手はこの件で全治三ヶ月のケガと罰金600万、謹慎10日になってしまいました。
しかし、4年目には2ヶ月連続の月間MVP、シーズン200奪三振、最多勝、最優秀防御率、沢村賞を受賞と大飛躍の年になります。
5年目は、WBCに選出された影響か中盤以降失速し7勝に終わりましたが、6年目以降はFA宣言する前の年まで安定して2桁勝利していますね。
奪三振も、ルーキーイヤーと「利き手はやめろブルガリア」事件の年以外は3桁奪三振を記録し、4シーズンで200奪三振以上しています。
さすがドクターKですね!
主力ローテーション投手として、順調なプロ野球生活を送っていましたが、とうとうFA宣言する時がやってきます。
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杉内俊哉がFA宣言!退団理由は?
杉内選手がFA宣言に踏み切った最初の理由は、ホークスの年俸の査定方法が年俸変動制に変わったことのようです。
この年俸変動制、簡単に言えば従来の実績重視査定よりも活躍すれば大幅アップ、しなければ大幅ダウンというもの。
高年俸で複数年契約をした選手がまったく戦力として働かない、働いてくれないということが相次いだため査定方法が変わったと言われています。
確かにホークスの王会長も、以前優勝した時に「どんどん(年俸)あげてもらって」と言っていたのでやる気も出ますよね。
しかしこのシステムに異をとなえたのが杉内選手でした。
FA宣言した年の杉内選手は5年ぶりに2桁勝利を逃してしまい、新しい年俸変動制の査定では大減俸は免れません。
杉内選手としては、それまで4年連続で2桁勝利してきたのにそれをまったく評価してもらえないことが納得がいかなかったのではないでしょうか。
余談ですが、このホークスの新しい査定方法だったら、2016年の「村田修一」選手(打率、本塁打、打点がチームトップ)は喜んだでしょうね。
その上、契約更改の下交渉で「『FAしても名乗りをあげる球団はない』というようなことを言われた。」と杉内選手が打ち明けています。
後に球団社長から謝罪があり、4年総額22億で引きとめにかかったが代理人曰く「わだかまりは消えなかった」とのことです。
現在も巨人は、実績重視査定なので杉内選手にとっては選手に対して愛があり、誠意を感じられる球団ということなのでしょうね。
杉内俊哉の嫁や弟は?年俸推移も気になる
杉内投手は、2年目のオフの2003年にフリーアナウンサーで「とべとべホークス」のレポーターをしていた『上葉えりか』さんと結婚しています。
結婚前の家族は母、姉、祖父母で、杉内選手は入団時の契約金でそれぞれにマンションを購入してあげたとか。
家族を非常に大切にしているとのことですが、優しいですね!
あれ?弟は?
と思いますが、杉内選手がお腹にいる時に母が離婚したため弟はいません。
検索キーワード上位に出てくる「弟」は正確には義弟になります。
2009年に、杉内選手の妻である「上葉えりか」さんの妹と、当時チームメートで同級生の「新垣渚」選手が結婚したことで、杉内選手と新垣渚選手は義兄弟の間柄になったんです。
新垣選手の結婚のきっかけはやっぱり杉内夫妻なんですかね。
杉内選手の年俸推移ですが、成績に比例して順調に増えていきますが、大幅アップが2度ありますね。
最初の大幅アップは、4年目オフで一気に4000万から一気に1.5億に!
年俸変動制導入前でこれだけのアップは素晴らしいですね。
2度目の大幅アップは、FA時の3.5億から巨人に移籍が決まったことで5億と1.5億も跳ね上がりました。
2017年現在、杉内選手の年俸総額は何と34億以上!
半分税金だとしても一般人から見ればもう遊んで暮らせる額ですね。
しかし、杉内選手は右股関節のケガで復帰にかなりの期間を要する状態になった時、自ら4.5億の減俸をもちかけ5億から5000万になったことも。
2017年現在も未だに1軍復帰できなかったので、巨人は育成契約も含めて来シーズンの契約を検討しているそうです。
来シーズンこそ1軍に復活してもう一花咲かせて欲しいですね!
最後にまとめ
いかがでしたか?
杉内選手について簡単にまとめると
②杉内選手のホークス時代は、2年目でローテーション定着。4年目で沢村賞や最多奪三振など様々なタイトルを獲得し、二桁勝利の年も多い!
③退団理由はホークス独自の年俸変動制度への変更と「FAしても名乗りをあげる球団はない」と言われたから。
④嫁は上葉えりかさん、義弟は新垣渚選手、年俸は最高5億で現在は5000万、年俸総額は34億以上!
といったところでしょうか。
松坂世代といわれた選手も引退する人が増えてきましたね。
杉内選手には是非1軍に復帰して、また華麗な奪三振ショーを見せてもらいたいですね!
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