バツグンのキャプテンシーの持ち主と言われ、「ビッキー」の愛称で親しまれている選手と言えば
ヤクルトの『大引 啓次(おおびき けいじ)』選手!
プロ11年目で、すでに所属球団が3球団目の大引選手ですが、検索上位キーワードに何故か「神社」の文字が出てきます。
趣味が神社仏閣巡りとかなんでしょうか?
それともオフシーズンには、御朱印集めでもやってるんでしょうかね。
プロ野球選手の中では珍しいキーワード。
関係が気になりますね~。
「糸井嘉男」選手の名前も大引選手と一緒に出てくるキーワードなのですが、この2人同じチームに所属したことはなかったように思います。
出身地や年齢、出身校も違うし、一体どういう関係なんでしょうか。
そんな大引啓次選手について、年俸や成績についても合わせて調べてみました。
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大引啓次のプロフィール
出典:http://column.sp.baseball.findfriends.jp/
出身地:大阪府大阪市住吉区
生年月日:1984年6月29日
身長:178cm
体重:84kg
プロ入り:2006年大学生・社会人ドラフト3巡目
デビュー:2007年3月24日
小学生のころ大阪ゴールデンファイヤーで、軟式野球を始めました。
最初は現在のポジションである遊撃手だけでなく投手も務めていたようです。
何だか今の大引選手からするとイメージ沸きませんね。
中学時代に「住吉大和川シニア」に所属し、そこで遊撃手1本に絞り、そこで全国大会を経験しました。
高校は、地元の浪速高校に進学し、1年秋には遊撃手のレギュラーとなり、2年時には甲子園出場してベスト8まで進みます。
1年でレギュラー定着ってのはすごいですね!
高校卒業後はプロではなく法政大学に進学し、4年時には主将を務め、首位打者2回最多打点と最多盗塁を1度ずつ記録、ベストナインに5回選ばれています。
大学のリーグ通算成績は365打数121安打、打率.331、5本塁打、62打点を記録していますね。
主将を務めているということは、学生時代からキャプテンシーがあったってことでしょうか。
そして、リーグ歴代4位の通算121安打を記録するほどの打者に成長しました。
2006年ドラフト会議でオリックスから3巡指名を受け入団します。
大引啓次と神社の関係が気になる!
大引選手とともに検索される珍しいキーワード「神社」
これは決して趣味が御朱印集めというわけではなく、大引選手の実家が神社なんです!
お父さんが「神須牟地神社」の宮司をしていて、大引選手はその次男として生まれています。
確かに名前も「次」って字が入っているし次男っぽい感じです。
大引選手は物心がついた頃から、つまり野球を始めるよりも前から恒例行事や大晦日などは家の仕事を手伝っていたそうです。
神社の恒例行事って年間通して結構多いんですよね。
調べてみると毎月1日、15日、21日と節分、6月と12月の月末、七五三、勤労感謝の日、大晦日とたくさんありました。
さすがに今は、プロ野球選手として遠征があるので手伝えないでしょうけど、これ全部手伝ってたとするとすごい少年時代だったんですね。
大引選手にとっては大変でもなく、ごく当たり前だったのかもしれませんが・・・。
神社や寺の息子って、大学は家業に関係あるようなところを選ぶ人いるイメージですが、大引選手は法政大学政治学科と神社とはまったく関係ないところに進学していますね。
おそらくお兄さんがいつか宮司になって、大引選手は引退後も神社の仕事はしないんでしょう。
まだ33歳なので、引退後のことよりまだまだプロ野球選手として活躍して欲しいですね。
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大引啓次と糸井嘉男のつながりとは?
大引選手と『糸井 嘉男(いとい よしお)』選手。
出典:http://imako2-trend-newz.blog.so-net.ne.jp/
この2人のつながりは一体どこにあるのでしょうか?
先にも触れましたが、年齢も違いますし出身地、出身校、年齢も全然違います。
しかし、この2人を含めた5人の選手の名が新聞やテレビで流れました。
そう、2013年1月25日に日本ハム、オリックスから発表された2:3の大型トレードです。
これは日本ハム側が「糸井嘉男」選手、「八木智哉」選手で、オリックス側に「木佐貫洋」選手、「赤田将吾」選手の名前とともに、「大引啓次」選手の名前もあったんです。
おそらく、この時点で「糸井義男」選手が一番活躍していたので「糸井選手が放出された!何故!?」という印象が1番強く、球界に激震が走ったと言われたトレードでしたね。
その「糸井嘉男」選手に隠れて目立たなかったかもしれませんが、大引選手も何故トレードで放出?と思った人も多かったのではないでしょうか。
当時の大引選手はオリックスの正遊撃手で、腰痛持ちでフル出場はできなかったものの、当時入団2年目だった「安達了一」選手にポジションを奪われるほどではなかったはずです。
⇒安達了一の難病が気になる!同期選手は誰?大引選手との関係も
ポジティブに見るのであれば日ハムに請われての移籍だった・・・そう考えたいですね。
日本ハムに移籍した際の背番号は、「糸井嘉男」選手がつけていた「7」に決まったので、マイナスな意味の移籍ではないでしょう。
ちなみに、このトレード5人の中で現在も支配下にいるのは、「糸井嘉男」選手と大引選手だけです(「八木智哉」選手は戦力外通告を受けまだ次の所属球団が未定)。
⇒八木智哉が二度目の戦力外通告!妻や子供は?今までの成績と年俸推移も
大引啓次のこれまでの成績や年俸推移について
大引選手は、2006年ドラフト会議の大学生・社会人ドラフト3巡目でオリックスから指名を受けて入団しています。
契約金8000万、年俸1200万でのスタートとなりますが、大引選手はこの契約金8000万をほぼ全額実家の神社に納めたそうです!
契約金で高級車とか買う選手が少なからずいる中、また一味違った使い方ですね。
オリックス時代は、ルーキーイヤーに開幕スタメンを勝ち取り年間通してほとんどレギュラーで出場しています。
規定打数にギリギリ届かなかったものの、出塁率が.329と新人野手としてはなかなかよい記録を出しましたね。
しかし打率より得点圏打率が低く、チャンスに弱いという課題が出てしまいました。
4年目までは死球による骨折や腰痛、熱中症による途中交代など、何もなければ正遊撃手なのに!というような状態でした。
チャンスに弱いという課題も克服できたシーズンがあったり、うまくいかなかったシーズンがあったりで、規定打席には到達できませんでした。
しかし!5年目にようやく初の規定打席に到達し、秋のキャンプでは副キャプテンになり、オフには選手会副会長に就任するという人望の厚さが見えます。
出典:http://blog.epachinko.jp/
翌年はまた腰痛に苦しみ、規定打席に少し足らずというシーズンになってしまいましたが、引退した「鈴木郁洋」氏に代わり選手会長に就任します。
と思ったら、先に触れた大型トレードで日本ハムへの移籍が決まりました。
何とも短い選手会長期間でしたね・・・。
日本ハム時代は移籍初年度に正遊撃手に定着し、規定打席にも到達し120試合に出場、打率.266、107安打の成績の残します。
翌年には移籍2年目で異例となる主将に就任したものの、日本ハムのチーム方針と合わず出場機会を求めてFA宣言をします。
人格者の大引選手が「怒りのFA宣言」なんて報道されたので印象に残っています。
日本ハムはよくも悪くもドライな球団なので、日本的な温情のようなものを求める人には合わないかもしれません。
楽天や阪神からも話が来ていたようですが、最終的にはヤクルトに移籍しました。
ヤクルト移籍後は、遊撃手としてチーム内で一番出場しているものの、目立つ成績は残せていませんね。
年俸の推移はオリックス時代が1200万→2800万→3100万→4500万→5800万→5800万と少しずつ上がっています。
日本ハム時代は5600万→7000万でした。
ヤクルトでは1億→7000万→7000万で、2015年からの3年契約がまだ残っているので来期もおそらく7000万でしょう。
最後にまとめ
いかがでしたか?
大引啓次選手について簡単にまとめると
②大引選手の実家が神須牟地神社で、お父さんがその神社の宮司を務めている。大引選手も物心ついた時から恒例行事や、大晦日に家の仕事を手伝っていた。
③糸井嘉男選手との関係は、2013年1月の2:3大型トレードで、それぞれのチームから移籍することになったという関係。大引選手は日本ハムで、糸井嘉男選手の7番を背負うことになる。
④オリックス時代はケガ等がなければ不動の正遊撃手で、移籍直前には選手会長に就任。トレードで日本ハム移籍後、2年目に異例の主将就任。ヤクルトではチームで一番遊撃手として出場している。年俸は入団時は1200万、最高1億、現在は3年契約2年目で、年俸は7000万。
といったところでしょうか。
オリックスでは選手会長、日本ハムでは主将を務めた大引選手、ヤクルトでもそのうち何か人の上に立ちそうですね。
若手が台頭してくることを期待しつつ、ポジションを譲る気はないと言ってるので、その意気で2018年以降も活躍して欲しいです。
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