阪神タイガースのチームキャプテンは誰か、あなたは知っていますか?
阪神のキャプテンは、あのベテラン外野手の
『福留 孝介(ふくどめ こうすけ)』選手です。
福留選手は、ドラフト時から日本球界を賑わせた野球選手ですね。
中日に入団し、その後メジャーへ挑戦しました。
中日ではリーグ優勝も経験。
メジャーから日本球界に復帰し、阪神に入団。
そして今にいたります。
最近野球を見始めた人は、阪神の福留選手について知ってる人は多いと思いますが、中日の福留選手について知ってる人は少ないでしょう。
そこで今回は、福留孝介選手の中日時代と、今の阪神に来てからの活躍をまとめてみました。
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福留孝介のプロフィール
出典:https://baseballking.jp/
出身地:鹿児島県曽於郡大崎町
年齢:1977年4月26日
身長:182cm
体重:93kg
プロ入り:1998年 ドラフト1位
所属球団:
中日ドラゴンズ(1999 – 2007)
メジャー時代(2008 – 2012)
阪神タイガース(2013 – )
デビュー:1999年4月2日
福留選手の出身高校はどこか知っていますか?
福留選手の出身高校はあの名門PL学園なんです!
PL学園といえば「清原選手」や「桑田選手」。
最近最も有名な選手でいうと、今メジャーで活躍中の前田健太投手でしょうか。
現在PL学園の野球部は活動していませんが、PL学園出身というのはすごいことです。
福留選手は1年生の秋からPL学園の4番に座り、3年の夏には当時の高校生No.1スラッガーになりました!
高3にドラフト指名を受けるも、それを拒否。
その後、1年社会人チームで過ごし中日を逆指名してプロ入りしました。
福留孝介の中日時代!落合黄金期の選手の一人
福留選手は現在外野を守っていますが、プロ入りしたときはなんと遊撃手だったんです。
しかし守備はイマイチ。サードにもコンバートされますが、それでもエラーは減りません。
しかしプロ入り4年目で、当時の「山田久」監督のもと外野へコンバートしました。
その年から福留選手が覚醒します。
出典:https://blogs.yahoo.co.jp/
打撃フォームを大改造し、なんと首位打者を獲得!
それも.343という高打率!
さらに福留選手が首位打者を獲得したことにより、あの「松井秀喜」選手の三冠王を阻止することになりました。
守ると好守、強肩を魅せ大きくブレイクした1年になりました。
そして翌年も前年以上の大活躍。打率は2年連続3割。
ホームランは34本塁打を記録しました。
そして中日時代最終年となる2006年、この年はWBCがありました。
予選では満足のいく成績を残すことができませんでしたが、準決勝、決勝では歴史的な大活躍をしました。
この活躍は今でも覚えてる人も多いのではないのでしょうか。
シーズンでは、3割30本100打点を達成しました。
チームの優勝に貢献しリーグMVPも獲得しました。
そして福留選手はメジャーへ挑戦しました。
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福留孝介の阪神時代!ベテランとしてチームを支える!
現在、福留選手は阪神に所属していますね。
これまでの阪神時代の活躍を振り返ってみましょう。
まず入団時は、横浜との獲得競争になります。
結果は阪神タイガースが福留選手を獲得。
2013年から日本球界に復帰しました。
しかし、2013年と2014年は福留選手のバッティングが全くできずチームの足を引っ張ることになりました。
甲子園球場で激しいヤジを受けることもありました。
しかし、2014年のクライマックスシリーズのファーストステージで、同じPL高校出身の「前田健太」投手からホームランを打ってから打撃が復活します。
出典:http://www.iza.ne.jp/
2015年シーズンは、消去法として守備を期待起用されます。
しかし、福留選手は打率リーグ8位(チーム2位)、本塁打リーグ5位(チームトップ)、打点リーグ4位(チームトップ)という大活躍!
そしてゴールデングラブ賞とベストナインを獲得し見事復活します。
翌年の2016年には、日米通算2000本安打を達成しました。
今年2017年はチームキャプテンに任命され金本監督はチームは2位。
クライマックスシリーズは敗れてしますが来年はリーグ優勝が目標ですね
福留孝介の天才エピソードがスゴイ!
ここまで福留選手のこれまでについてまとめてきましたが、ここからは福留選手の天才エピソードを紹介していきます。
まずドラフト時は、高校時代の先輩「清原選手」の6球団競合を超える7球団競合しました。
そして、近鉄バファローズが交渉権を獲得しましたが、福留選手は入団を拒否。
ドラフト前から福留選手は巨人と中日を逆指名していました。
ちなみに高校生に対する競合は、この7球団競合が今でも歴代1位です。
福留選手はWBC、国際大会でも大きく活躍しました。
それは2006年WBCの準決勝。
これまで福留選手は、打撃不振に陥り満足のいく成績が残せていませんでした。
そんな福留選手でしたが、7回ワンナウト2塁の場面で代打で登場。
当時のWBC監督はあの「王貞治」。
福留選手は王監督の期待を応えられるのか・・・「生き返れ福留!!!」
そう実況が言ったあと福留選手はライトスタンドへなんと代打ツーランホームラン!
出典:https://mainichi.jp/
これは今でもWBCでの名場面として振り返られます。
実況とのばっちりのタイミング。
まるでマンガのような展開ですね。
そして2006年WBCは、日本が優勝しました。
最後にまとめ
いかがでしょうか?
福留孝介選手について簡単にまとめると
②中日時代は外野手に転向し打撃ファームを4年目から覚醒。松井秀喜の3冠王を阻止したりリーグMVPなどの活躍をしメジャーへ挑戦。
③日本球界に2013年から復帰。阪神に入団。最初の2年は打撃不振も2015年からは打撃好調。ベストナインも獲得する。
④ドラフト時は高校生にたいしては歴代1位の7球団競合。2006年WBCでも伝説を残した。
福留選手、とってもすごい選手でしたね。
来年は、阪神をリーグ優勝に導いて欲しいですね!
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