中日の黄金期と言われたら、あなたは誰を浮かべますか?
中日のエース「川上」選手や、中日の投手陣をずっと支えた「山本昌」選手。
絶対的クローザーの「岩瀬」選手、不動のショート「井端」選手。
中日打線を支えた「森野」選手などなど。
きっと他の選手の名前もたくさんあがると思いますが、
『落合 博満(おちあい ひろみつ)』監督の名前を挙げる人も多いでしょう。
落合監督は中日を黄金期にした監督として高く評価され、当時の中日はとても強かったです。
落合監督は数々の名采配で、中日を何度もリーグ優勝に導きます。
今回は、そんな落合監督のエピソードや、当時の成績・戦い方などを詳しくまとめました。
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落合博満のプロフィール
出典:http://number.bunshun.jp/
生年月日:1953年12月9日
身長:177cm
体重:82kg
プロ入り:1978年 ドラフト3位
現役時代の所属球団:ロッテオリオンズ (1979 – 1986)
中日ドラゴンズ (1987 – 1993)
読売ジャイアンツ (1994 – 1996)
日本ハムファイターズ (1997 – 1998)
監督歴
中日ドラゴンズ (2004 – 2011)
デビュー:1979年5月29日
名将と言われ、中日を黄金期に導いた落合監督。
落合監督は歴史に名を残す大物選手の一人です。
現役時代には最上最多の3回の三冠王を達成。
さらに最年少での三冠王も達成しています。
もちろん2000本安打も達成してます。
これはあまり知られていませんが、落藍監督は歴代シーズン最高出塁率保持者でもあります。
現役時代もすごいですが、さらに落合監督は中日も常勝軍団に導きます。
次は監督時代についてまとめていきます。
落合監督のエピソードがすごい!中日を黄金期に!
落合監督のエピソードといえば、あなたはいくつ知っていますか?
落合監督は2004年から2011年の8年間、中日の監督を務めました。
なのでいろいろエピソードがあるのですが、その一部を紹介します。
まず監督1年目は「この1年は補強を凍結し、個々の選手の能力を10%底上げして日本一を獲る」と宣言し、見事リーグ優勝を達成します。
他にも「一芸に秀でた選手を使う」という方針も掲げました。
出典:http://blog.goo.ne.jp/
それまで3年間一軍登板の無かった「川崎憲次郎」を開幕投手に抜擢し、すべての選手にチャンスがあるとチームを刺激させました。
1年目から落合監督は名将ぶりを発揮していますね。
他にも落合監督のエピソードといえば、やはり「山井大介」選手でしょうか。
⇒山井大介の完全試合目前での落合監督の采配に疑問?成績や年俸も
2007年の日本ハムとの日本シリーズ、3勝1敗で迎えた第5戦目で山井選手が先発しなんと8回までノーヒットノーラン!
9回も山井選手も投げ日本一を決めると思われましたが、9回マウンドにあがったの当時の絶対的守護神「岩瀬」選手。
当時のこの采配は賛否両論でした。
しかし、結果は岩瀬選手が3人で抑え、史上初の完全試合での日本一を達成しました。
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落合監督の成績は?名将・落合博満
名将や黄金期などと言われてますが、いったいどれくらいの成績を残したのか気になるところでしょう。
では落合監督の成績を見ていきましょう。
落合監督は就任1年目からリーグ優勝を達成しました。
しかし、日本シリーズでは日本ハムに敗退してしまいました。
監督就任3年目のシーズンの2006年のチームでは、落合監督自身がこの年の最強を言い切るチームで戦い、圧倒的な強さでリーグ優勝を果たします。
しかし、日本シリーズでまた日本ハムに負けてしまいます。
2007年は、リーグ2位もクライマックスシリーズで勝ち上がり、日本シリーズに進出します。
相手はあの日本ハム!リベンジを果たしたい落合監督。
結果は山井選手と岩瀬選手の継投で本拠地ナゴドで完全試合を達成し日本一になります。
出典:http://teppan.blog.so-net.ne.jp/
2010年シーズンでは、巨人、阪神との三つ巴を制し、なんと143試合目でリーグ優勝を達成します。
しかし、またもや日本シリーズ敗退。
落合監督本人も言っていますが短期決戦は弱いようですね。
監督最終年での2011年では、10ゲーム差を巻き返しリーグ優勝を達成しました。
そんな監督歴史を振り返ってみると落合監督は名将と言えるでしょう!
落合監督の戦術は?黄金期に導いた戦い方とは
ここまで落合監督の成績などをまとめてきましたが、そんな落合監督の戦い方はどのよな戦い方だったのでしょうか。
落合監督の実力・戦術が強く発揮された落合監督の最後のシーズンの2011年を見てみましょう。
この年のチームは「守る野球」を展開。
もともと落合監督は打ち勝つよりも、広く投手有利の本拠地ナゴヤドームの地の利をいかした投手中心の野球をしていました。
出典:http://news.livedoor.com/
話を戻し、2011年シーズンは打線が全く機能せず、この年のチーム打率は.228でリーグ最下位。
チーム本塁打はたったの86本と監督を務めた8年間で最低の数字となりました。
一方投手陣はチーム防御率、チーム失点ともにリーグ最高と打撃はさっぱりでしたが投手はリーグトップでした。
8月の時点でも一時は5位に沈みクラス入りすら危うい状況でした。
しかし落合監督は2011年5月7日、11敗目を喫した際に「あと50回負けられる」というコメントをし、結果その年の中日の61敗目がちょうどそのシーズンの優勝ラインになりました。
シーズン終盤に「なぜか」監督の解任を発表されるも、最大10ゲーム差をひっくり返えし、球団初の連覇を達成しました。
最後にまとめ
いかがでしょうか?
落合博満監督について簡単にまとめると
②就任1年目から補強なしでの日本一を宣言し、見事リーグ優勝を達成。山井選手の継投など勝負強い采配も発揮。
③監督を務めた8年間の中で、8回Aクラスと毎年Aクラス出場。しかし短期決戦になると負けてしまい、どうも苦手のようだ。
④2011年は、最大10ゲーム差をひっくり返えし、球団初の連覇を達成。打線は全くだったが投手陣がチームを引っ張った。
落合監督は8年間監督を務めましたが4回リーグ優勝を達成しました。
中日では歴代最高の監督であることは変わらず、当時の中日ファンに今でも思い出に残る野球をファンに見せていました。
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