日本人最強クローザーといえば、あなたは誰を浮かべますか?
火の玉ストレートの「藤川球児」選手?
現在もメジャーで大活躍の「上原浩治」選手?
今あげた二人も有名で、とってもすごい選手です。
しかし、この2人に負けず劣らず『岩瀬 仁紀(いわせ ひとき)』という選手もすごい選手です。
あなたは岩瀬選手を知っていますか?
今年カムバック賞を受賞したことで話題になりました。
中日に所属するリリーフピッチャーです。
今年は見事復活を果たしました。
実はこの岩瀬選手、全盛期はとてもすごい選手だったんです。
今は衰え昔のような輝きはありませんが、その岩瀬選手がどのくらいすごかったのかをまとめてみました。
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岩瀬仁紀のプロフィール
出典:Twitter
出身地:愛知県西尾市
生年月日:1974年11月10日
身長:181cm
体重:85kg
プロ入り:1998年 ドラフト2位
所属球団:中日ドラゴンズ (1999 – )
デビュー:1999年4月2日
岩瀬選手は現在43歳。
40歳を超えてプロ野球選手なのも十分すごいのに、さらに今年はカムバック賞を受賞し活躍してるとてもスゴイ選手。
そんな岩瀬選手の過去は、今以上の成績を残していました。
岩瀬選手の武器はよくキレるスライダー。
そのスライダーは1級品。
その左腕から繰り出されるスライダーは誰にも打てませんでした。
岩瀬選手は中日黄金期時代に絶対的クローザーを務め、たくさんのセーブを記録。
現在ソフトバンクに「サファテ」選手がいますが、それ以上にすごい選手でした。
また何度も最多セーブのタイトルを獲得しています。
当時の「落合」監督は「9回は岩瀬」と言います。
そんな岩瀬選手の伝説を見てみましょう。
岩瀬仁紀の伝説がすごい!史上最強クローザー
岩瀬選手は今年とんでもない記録を打ち立てました。
7月21日に「金田」選手がもつ最多登板記録を抜き、歴代1位の945登板を記録しました。
さらに8月6日には、プロ野球歴代最多セーブ記録は単独トップのなんと404セーブ!
出典:https://headlines.yahoo.co.jp/
なんと岩瀬選手は歴代最多登板(954登板)だけではなく、歴代最多セーブ記録(404セーブ)も所持しています!
とてもすごいですね。
岩瀬選手の伝説はこれだけじゃありませんよ!
今年も日本シリーズが行われましたが、なんと岩瀬選手は6回も日本シリーズを経験していますが1度も失点していません。
岩瀬選手がポストシーズンで失点したのは2010年のクライマックスシリーズの巨人戦の1度きりです!
2010年に失点したということは、それまで岩瀬選手はポストシーズンはずっと無失点ピッチングを続けていたことになります。
岩瀬選手の武器はスライダーですが、入団して初めての春季キャンプで当時、正捕手だった「中村武志」選手がキャッチボールを捕り損ねて突き指してしまったほどのキレ!
岩瀬選手の伝説は1年目から始まっていました。
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岩瀬仁紀の全盛期がすごい!中日黄金期の「守護神」
岩瀬選手の全盛期はどのくらいすごかったのでしょうか。
岩瀬選手は1年目から現在でも自己最多の65試合に登板!
なんと防御率は1.57!
1年目から60登板し、防御率1点台ですからすごい活躍ですね。
岩瀬選手は、2004年から当時の新監督・落合監督から「守護神」の指名を受け、これから岩瀬選手は中日の絶対的クローザーに君臨します。
それから何度か不調に陥る時期がありましたが、2013年までの約9年間中日の絶対的クローザーとして君臨しました。
ちなみにクローザーになる前、セットアッパーを務めていましたが3回の最優秀中継ぎ賞を受賞しています。
これだけでもほんとにすごいんですが、これだけではありません!
岩瀬選手は15年連続で50登板を達成。
出典:https://www.nikkansports.com/
さらには9年連続の30セーブも達成。
他にも40セーブを達成したのはなんと4回も!最多セーブも5回も受賞しています。
これぞ絶対的クローザー。
岩瀬選手は500試合登板をもう2007年とちょうど10年前に記録。
現在は通算954登板。
前人未到の岩瀬選手は1000登板をクリアできるのか、これからも岩瀬選手に目が離せません。
岩瀬仁紀は国際大会でも活躍?!岩瀬の国際大会の成績は?
日本でたくさんの伝説を作り活躍してきた岩瀬選手。
では国際大会でも無双状態だったのでしょうか?
岩瀬選手はWBCの出場経験はありませんが、2004年と2008年の2回、オリンピック出場をしています。
2004年のオリンピックに出場したときの岩瀬選手は、ほぼ無双状態!
出典:https://www.jiji.com/
5試合登板になんと無失点の大活躍!
すごいですね~。
2004年のオリンピックで活躍した岩選手は、2008年も期待されます。
しかし、その期待に応えられず岩瀬選手は12試合に登板しなんと10失点。
そして3敗もしてしまいます。
韓国代表の「李承燁」選手に逆転本塁打も打たれてしまいました。
オリンピックの戦犯として扱われてしまいます。
これに関しては当時の「星野」監督の起用に問題があるとされています。
そもそも中日の当時の監督・落合監督は国際大会に選手を出すことはあまりよく思っていませんでした。
岩瀬選手は不調にもかかわらず、勝利の方程式に組み込まれ結果打ちこまれ敗戦。
日本に帰国後、落合監督の下ではしっかりおさえているので、やはりオリンピックでの岩瀬選手の不調は星野監督にあるといえるでしょう。
最後にまとめ
いかがでしょうか?
岩瀬仁紀選手について簡単にまとめると
②岩瀬選手は歴代最多登板(954登板)、歴代最多セーブ記録(404セーブ)を所持。前人未到の1000登板に期待がかかる。
③ルーキーイヤーから大活躍。2004年から約9年間中日の絶対的クローザーとして君臨。クローザーになるまでは最優秀中継ぎを2度受賞。
④2004年でのオリンピックでは実力を発揮するも、2008年では自分の実力が発揮できず。監督の采配に疑問も。
現在の通算登板数は954登板。
岩瀬選手は1000登板を達成できるのか!?
これからも岩瀬選手に期待が集まります。
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