2017年、東京ヤクルトスワローズはシーズン序盤から勝つことができずにいました。
そのまま一度もチームは上昇することは無く、シーズン90敗を記録し、リーグ最下位でシーズンを終えることに…。
2015年はリーグ優勝に輝いたヤクルトスワローズでしたが、その後は勝つことができず優勝から2年がたった2017年は、最下位という結果に終わりました。
その責任を取るということで『真中 満(まなか みつる)』監督が監督を退任することとなりました。
2018年からは「小川淳司」監督が新監督として就任。
2017年は最下位に終わりましたが、ヤクルトをリーグ優勝に導いた監督としてのエピソードや現役時代の成績などを紹介します。
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真中満のプロフィール
出典:http://blog.livedoor.jp/
出身地:栃木県大田原市
生年月日:1971年1月6日
身長:170cm
体重:85kg
プロ入り:1992年 ドラフト3位
所属球団:東京ヤクルトスワローズ (1993 – 2008)
監督歴:東京ヤクルトスワローズ (2009 – 2017)
デビュー:1993年9月3日
真中満監督は1992年にドラフト3位で東京ヤクルトスワローズに入団。
それから選手時代も監督時代もヤクルト1つでやってきました。
2015年は巨人も広島も倒しリーグ優勝を達成するも、たった2年でヤクルトは最下位に転落してしまいました。
真中監督の現役時代は、ヤクルトの外野手として活躍。
当時のヤクルトは「野村克也」監督が「ID野球」というもので、ヤクルトを黄金期を迎えていました。
名将と言われた野村克也監督の下でプレーした真中監督は、どんな選手だったのか見てみましょう。
真中満の現役時代は?ヤクルトの黄金期の選手の一人
真中満監督は日本大学から1992年にドラフト3位で東京ヤクルトスワローズに入団しました。
真中監督の現役時代は左投げ左打ちの選手でした。
真中監督は若いころからスタメンで起用されることはあまりなく代打で起用されることがとても多かったです。
1997年からスタメンでも出場するようになりましたがそれまで代打での出場がとても多かったです。
しかし1997年はセンターを守る「飯田哲也」選手の怪我をしたことで真中監督が代役として抜擢されました。
飯田哲也選手に代わり1番センターで試合に出場しヤクルトスワローズのリーグ優勝、日本一に貢献しました。
それからは真中監督はスタメンで出場することが多くなりました。
翌年には初の規定打席に到達しその次の年にはプロ入り初の打率3割も達成しました。
そして真中監督は2001年に再びリーグ優勝、日本一に貢献しました。
野村克也監督率いるヤクルトスワローズの黄金期では真中監督は飯田選手が怪我をするまであくまでも代役扱いでしたが98年からは立場が逆転しました。
それからはセンターやライトを守るようになりました。
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真中満の監督しての成績は?ヤクルトをリーグ優勝に
真中満監督は2015年に東京ヤクルトスワローズの監督に就任しました。
真中監督は2008年に現役を引退しそれからずっとヤクルトのコーチをしていました。
そして現役を引退して7年後、コーチから監督に就任することになりました。
真中監督は監督就任1年目からリーグ優勝を達成しました。
真中監督がリーグ優勝した2015年は前半戦こそは横浜DeNAが首位でしたがその横浜DeNAが交流戦途中で12連敗したことから一気に首位から転落しました。
それからセ・リーグのゲーム差はどんどん小さくなり混セとなりました。
一時期はセリーグ全球団貯金なしとなった波乱のペナントレースとなった2015年は終盤まで巨人などと優勝争いを繰り広げることになりました。
そして10月2日に神宮球場で行われた阪神タイガースとの最終戦で延長11回裏に「雄平」選手のタイムリーヒットでサヨナラ勝ちを収め、史上稀にみる大混戦のセ・リーグを制し真中監督は就任1年目でチームを優勝させました。
クライマックスシリーズはファーストステージの巨人を破り日本シリーズに進出するもソフトバンクに負けてしましました。
真中満のおもしろエピソードエピソード!ヤクルト高山俊?!
「東京ヤクルトスワローズ高山俊」。
阪神に所属する2016年には横浜DeNAの「今永昇太」選手との新人王争いに勝ち新人王を獲得した阪神タイガースの外野手「高山俊」選手を知っていますか?
高山選手が実はヤクルトスワローズに入団しそうになった話を知っていますか?
それは2016年のドラフト会議のことでした。
高山俊選手はドラフト1位指名を阪神タイガースとヤクルトスワローズの2球団から受け競合し抽選することになりました。
この時ヤクルトの監督真中監督はくじ引きの結果、渾身のガッツポーズ。
ヤクルトが高山選手を獲得したかとこれが真中監督の勘違いだったようで正しくは阪神が獲得することになりました。
真中監督の監督としてのエピソードを紹介しましたが真中監督は現役時代にもすごい記録を残しました。
2005年からリーグの最多安打記録を塗り替えることになる現在メジャーで活躍する「青木宣親」選手が活躍したことで真中監督がスタメンで出場することは無くなりました。
しかし代打でも打率を3割残し2007年には日本記録となるシーズン代打起用回数98回、31安打をマークし「代打職人」「代打の神様」と呼ばれるようになりました。
ちなみにこの記録は今でも破られていません。
最後にまとめ
いかがでしょうか?
真中満監督について簡単にまとめると
②選手としては最初から活躍することは無く、代打や飯田哲也選手の代役としての起用が多かったが、98年からは立場が逆転しチームのリーグ優勝や日本一に貢献した。
③監督としては監督就任1年目からチームをリーグ優勝に導いた。波乱の2015年ペナントレースで最後まで優勝争いを繰り広げ優勝した。
④2016年ドラフト会議で、高山俊選手が阪神タイガースと競合した時、真中満監督は間違えてガッツポーズをしてしまう。現役時代は「代打職人」「代打の神様」と呼ばれる。
真中満監督は2018年で退任しますが選手としても監督としてもヤクルトをリーグ優勝に導きました。
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