松中信彦の全盛期の成績と伝説がすごい!エピソードも

皇陛下が生前退位することが決まり、2018年が平成最後の年となりました。
2019年の4月まではまだ平成ですが、1年間平成というのは2018年で最後です。

野球には全く関係ないニュースに聞こえるかもしれませんが、実は関係があるんです。
2018年、2019年シーズンに三冠王を達成した選手がでない限り『松中信彦(まつなかのぶひこ)』選手は「平成唯一の三冠王」ということになります。
松中信彦選手を皆さんは知っていますか?
現在平成で三冠王を達成したたった一人の選手でありソフトバンクホークスの主力選手として活躍した選手です。
今回はその松中信彦選手を紹介します。

松中信彦のプロフィール

松中信彦
出典:https://full-count.jp/
名前:松中信彦(まつなか のぶひこ)
出身地:熊本県八代市
生年月日:1973年12月26日(44歳)
身長:183 cm
体重:97 kg
プロ入り:プロ入り1996年 ドラフト2位(逆指名)
所属球団:福岡ソフトバンクホークス (1997 – 2015)
デビュー:2015年10月1日

中信彦選手が「平成唯一の三冠王」になるかもしれない。
と紹介しましたが、そもそも三冠王とはなにか?
三冠王とは打撃タイトルのなかの「首位打者」「本塁打王」「打点王」の3つを同じシーズンで獲得することを言います。
この三冠王はとても難しく、なかなか取れるものではありません。

松中選手が最後の三冠王選手、平成唯一の三冠王なのがそれを物語っています。
松中選手は外野(主にレフト)ファーストを守ります。
現役時代は4番も務めました。
松中選手は小学校から野球をはじめ、高校から社会人野球を通してプロ入りました。
そして1996年、ドフラト2位でソフトバンクから指名を受け入団。

松中信彦はソフトバンクの主砲?現役時代の成績は?

フトバンクに1996年ドラフト2位で入団しました。
この年入団してきたメンバーがすごく、ドラフ1位で2018年ロッテの監督に就任することが決まった「井口資仁」選手。
ドフラト3位には「芝原洋」という大物外野手と獲得しました。
ソフトバンクとしては大当たりのドラフトとなりました。

三冠王も獲得した松中選手ですが1年目から活躍できたわけではありませんでした。
入団してすぐに活躍できなかった理由としては「金属バットと木製バットの違いに慣れることができなかった」だそうです。
金属バットと木製バットの違いに苦戦する選手は多いんですよ。
三冠王を獲得した松中選手も最初はプロの壁にぶち当たったということですね。

しかし、プロ3年目が飛躍の1年目となります。
プロ3年目となる1999年にファーストにレギュラーとして定着。
そして23本もホームランを打ちました。
そして2001年には、「井口資仁」選手と「小久保裕紀」選手と「城島健司」選手、「松中信彦」選手の4人で30本以上のホームランを打ち、パ・リーグ史上初の30本カルテットを達成!
チーム本塁打も200本を超え、203本と大爆発の打線でした。

松中信彦は国際大会でも活躍?国際大会での成績は?

本球界では三冠王を獲得しただけあって大活躍だった松中信彦選手。
ではメジャーに挑戦したことは?2018年は「大谷翔平」選手がメジャーへの挑戦が決まりましたが松中選手はメジャーに挑戦しませんでした。
では松中選手の国際試合の成績はというと松中選手は2006年の第一回WBCに参加し金メダルを獲得していますが実はプロに入る前に国際大会に出場していました。
それは1996年に行われたアトランタオリンピック野球というものでした。
そこで松中選手代表選手の一人として招集されました。
当時、松中選手は23歳でした。
この大会は代表選手が20人いてうち大学生選手が4人、社会人選手が16人でした。
ちなみに松中選手は社会人選手の16人のうちの一人でした。
ちなみにこの大会松中選手以外にもプロ野球選手なった人がいるんですよ!
巨人の外野手として活躍した「谷佳知」選手。
現在でも現役の阪神でキャプテンを務める「福留孝介」選手。
現役時代は阪神やロッテに所属していてシーズン歴代最多打点の持ち主「今岡誠」選手、2018年からロッテの監督を務めプロに入ってチームメイトとなる「井口資仁」選手がいました。

松中信彦のエピソード!どんな選手だった?

役時代の松中信彦選手はいったいどんな選手だったのでしょうか?
松中選手は2015年にソフトバンクを戦力外になりました。
その後現在の「松坂大輔」選手や「村田修一」選手のように所属先のチームを探していました。
当時のメディアや新聞も松中選手のことをよく取り上げていました。
しかし結局松中選手には声はかからずそのまま引退ということになりました。
現在平成唯一の三冠王としてプロ野球界最後の三冠王の松中選手でしたが最後は残念な形になってしまいました。
松中選手はソフトバンク一筋。
ソフトバンクで19年間のプロ野球人生を送りました。
松中選手が三冠王を獲得したのは2004年。
今から14年も前のことでした。
ということは14年も三冠王を獲得した選手がいないということになりますね。
2004年といえば「プロ野球再編問題」「プロ野球初のストライキ」など波乱の1年でした。
またこの年はあの「落合博満」監督が中日の監督に就任した年にもなりました。
さらに松中選手が三冠王を獲得など本当にいろんなことがありました。
松中選手は7年連続2桁本塁打を達成するなどホームランバッターとして活躍しました。

最後に

かがでしょうか?松中信彦選手についてまとめると

①1996年ドラフトで2位指名を受けドラフト2位で入団。ドラフト一位には井口資仁選手、ドフラト2位には柴原洋選手いた。
②最初はバットに慣れずプロの壁にぶち当たりなかなか成績が残すせず。しかしプロ3年目からファーストのレギュラーとして定着
③第一回WBCに参加し金メダルを獲得。プロ入り前にも国際大会に参加。チームメイトには井口資仁選手や福留孝介選手、今岡誠選手、谷佳知選手がいた。
④2015年に戦力外通告を受ける。自分と契約してくれるチームを探すも結局見つからず引退。松中選手は2004年に三冠王を獲得した。

松中選手はすごい選手だったんですね。
2015年に引退したのでまだ当時のことを知っている野球ファンは多いのかもしれません。

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