立浪和義の現役時代の成績がスゴイ!ミスタードラゴンズに迫る!

年の中日ドラゴンズの成績は悪く、Bクラス続き・・・
2017年は最下位こそは脱出するも、順位は5位。
決して良かったといは言えません。
しかし、数年前は巨人と争うような常勝軍団でした。

そんなチームを支え、「ミスタードラゴンズ」と呼ばれた選手をあなたは知っていますか?

ミスタードラゴンズといえば1代目は「西沢道夫」選手。
2代目は、「高木守道」選手です。
では3代目は?

3代目は、2009年に引退した『立浪 和義(たつなみ かずよし)』選手です。

今回は、その3代目ミスタードラゴンズと呼ばれた、立浪和義選手の現役時代の成績に迫ってみましょう!

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立浪和義のプロフィール

立浪和義
出典:https://bbcrix.com/
名前:立浪 和義(たつなみ かずよし)
生年月日:1969年8月19日
出身地:大阪府吹田市
身長:173cm
体重:70kg
プロ入り:1987年 ドラフト1位
所属球団:中日ドラゴンズ (1988 – 2009)
デビュー:1988年4月8日

浪和義選手は1987年ドラフト一位で中日ドラゴンズに入団します。
立浪選手はあの名門PL学園出身。
PL学園出身の選手といえば阪神の「福留孝介」選手や、メジャーで活躍する「前田健太」選手がいます。

立浪選手がプロ入り後に守ったポジションは、レフト、ファースト、セカンド、ショート、セカンドとユーティリティプレイヤーとして活躍しました。
立浪選手は2000本安打も達成しました。
2007年からは代打として立浪選手は大活躍
ナゴヤドームに「代打・立浪」とコールがかかると、いつも大歓声で迎えられました。
そんな立浪選手は2009年に現役を引退しました。

立浪和義の通算成績がスゴイ!2000本安打達成!

浪和義選手の現役時代はどんな選手だったのでしょうか?
立浪選手は2003年に2000本安打も達成しています。
立浪選手は22年間の現役時代を中日で過ごした、生涯中日ドラゴンズ選手。

立浪選手が出場した試合は、2500試合を超えなんと2586試合となります。
立浪選手の通算安打は2480本
通算出場試合数が2586試合で通算安打が2480本なので、単純計算で約1試合で1本のヒットを打ってることになります。

また、立浪選手の通算成績でスゴイところは他にもあります。
立浪選手は通算最多2塁打歴代一位!
現役時代に打った二塁打の数は487本!
すごいですね~。

歴代通算最多記録は2位に、盗塁の神様と呼ばれた「福本豊」選手がいます。
3位には現在阪神で監督を務める「金本知憲」選手がいます。
ちなみに、ドラゴンズでの通算最多安打記録1位も立浪選手です。
2位には中日で監督も務めたあの「高木守道」選手でした。
立浪選手は2005年にこの記録を更新。
最近の選手でいうと、4位に「荒木」選手。
7位に現役巨人でコーチを務める「井端」選手がいます。

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立浪和義の現役時代はどんな選手だった?

浪和義選手は、現役時代に「ミスタードラゴンズ」と呼ばれる選手になりました。
ではミスタードラゴンズと呼ばる立浪選手は、どんな成績を残してきたのか見ていきましょう!

立浪選手は1年目から100試合以上に出場。
その素質を見抜かれ、ショートにいたレギュラー選手をコンバートしてまで起用されました。
2番ショート立浪和義。

高卒開幕スタメンは球団としては史上初のこと、セ・リーグでは22年ぶりの10人目のことでした。
立浪選手は1年目からオールスターに選出され、新人王も獲得しました。
打率はあまりよくありませんでしたが、守備と走塁がとても上手な選手でした。
2年目のシーズンは怪我で試合で出れませんでしたが、3年目はショートのレギュラーとして活躍。
ドラゴンズのリードオフマンとして活躍しました。
この年はプロ初の打率3割を記録
選手として飛躍の1年となったと本人も言っています。

その後、立浪選手は中日のリードオフマンの立ち位置を確立し、ドラゴンズのショートのレギュラーとなりました。
立浪選手はショートのポジションで1度ゴールデングラブ賞を獲得しています。

立浪和義はミスタードラゴンズ!他のミスタードラゴンズはどんな選手?

こまでミスタードラゴンズとして紹介してきた立浪和義選手。
では他にスタードラゴンズ呼ばれた選手はどんな選手だったのでしょうか。
1代目ミスタードラゴンズと呼ばれたのは、先ほど紹介した「西沢道夫」選手。
2代目ミスタードラゴンズは、「高木守道」選手。
高木守道選手の現役時代は不動のセカンドレギュラーとして活躍しました。
巨人のV10を阻止するリーグ優勝にも貢献しました。
1960年に入団し、1980年に引退するまで高木選手はずっとドラゴンズで現役を貫きました。
21年間ドラゴンズで過ごした高木選手は200犠打200本塁打も達成。
攻走守に優れた選手でした。

1代目ミスタードラゴンズと呼ばれたのは西沢道夫選手。
西沢選手は1936年に名古屋軍に入団。
当時はまだ中日ドラゴンズではなく名古屋軍という名前でした。
西沢選手が入団した1936年といえば、まだ第2次世界大戦は始まっていません。
それくらい昔の選手です。
このミスタードラゴンズと呼ばれた西沢選手は、1977年に亡くなっています。

最後にまとめ

かがでしょうか?
立浪和義選手について簡単にまとめると

①1987年にドラゴンズに入団。PL学園出身。2007年からは代打で活躍。
②NPB歴代通算最多2塁打1位。中日ドラゴンズ通算最多安打1位。2000本安打も達成。
③現役時代はショートのレギュラー、そしてリードオフマンとしてブレイク。新人王を獲得。球団初の高卒開幕スタメン。
④1代目ミスタードラゴンズは西沢道夫選手。2代目ミスタードラゴンズは高木守道選手。

立浪和義選手は、中日の歴代通算最多安打記録を持つ選手です。
いつか監督をする時がくるかもしれませんね。

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