木田優夫の巨人やヤクルト時代の成績は?引退後は日ハムのGM就任

2018年から西武ライオンズの「牧田和久」投手がメジャーに挑戦することになりました。
リリーフ投手がメジャーへの挑戦した例はあまり多くはありません。

ワールドシリーズ胴上げ投手になった「上原浩治」選手はもともと先発でした。
オリックスの「平野佳寿」選手もメジャーに挑戦することになりました。

では、今までメジャーに挑戦したリリーフ投手にはどんな選手がいるのでしょうか?
メジャーに挑戦したリリーフ投手の一人の『木田 優夫(きだ まさお)』選手をあなたは知っていますか?

今回は、巨人にも所属していた木田優夫選手の現役時代引退後について迫ってみましょう。

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木田優夫のプロフィール

木田優夫
出典:http://column.sp.baseball.findfriends.jp/
名前:木田 優夫(きだ まさお)
出身地:東京都国分寺市
生年月日:1968年9月12日
身長:188cm
体重:95kg
プロ入り:1986年 ドラフト1位
所属球団:読売ジャイアンツ (1987 – 1997)
オリックス・ブルーウェーブ (1998)
メジャー挑戦 (1999 – 2005)
東京ヤクルトスワローズ (2006 – 2009)
北海道日本ハムファイターズ (2010 – 2012)
デビュー:1989年4月17日

田優夫選手は1986年のドラフト会議で読売ジャイアンツから1位指名を受けプロ入りしました。
高校は日本大学明誠高等学校出身。
高校時代はあまり名が知れていた選手ではありませんでしたが、右の本格派として注目されドラフト一位指名されました。

木田選手は巨人、オリックスと2球団を渡ってからメジャーに挑戦しました。
その後に日本復帰しオリックスに帰ってきましたが、そのオリックスを1年で戦力外に。
そして木田選手は再びメジャーに挑戦しました。
晩年は独立リーグで過ごした選手です。

木田優夫の巨人とヤクルト時代の成績は?

1986年でドラフト指名された木田優夫選手。
木田選手は日本球界だけでも読売、オリックス、ヤクルト、日ハムと5球団もわたっています。
メジャーも含めるとさらに増えます。
日本球界を去った後は独立リーグでも野球を続けていたのでいろんなチームで野球をしていたことになります。

木田選手といえばどのチームに所属していた木田選手が1番印象に残っていますか?
例えば巨人時代の木田選手は高卒2年目にして最多奪三振のタイトルを獲得しました。

木田優夫の巨人時代
出典:http://column.sp.baseball.findfriends.jp/

木田選手といえばやはり中継ぎのイメージが強い人が多いと思いますが、当時は「先発・中継ぎ・抑え」なんでもこなす『何でも屋』でした。
その後も木田選手は先発や中継ぎをこなしチームの便利屋として活躍します。

しかし1997年に「野村貴仁」選手とのトレードでオリックスへの移籍が決まりました。
木田選手はオリックスでも先発や中継ぎや抑えをこなす便利屋として活躍。
そして翌年にメジャーに挑戦することになりました。

その後は日本球界復帰後オリックスに加入しましたが、そのオリックスを戦力外になり再び渡米することになります。
その後日本球界に復帰し、ヤクルトで2年連続50登板を達成しました。

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木田優夫の引退後は? 独立リーグでプレー!

田優夫選手はヤクルトでリリーフの一角として活躍しましたが、2009年にヤクルトから戦力外通告を受けチームを去ることになりました。
その後日本ハムに移籍ますが日ハムでの活躍できずチームを去ることとなります。

次に木田選手が入団したチームはプロ野球チームではなく独立リーグでした。
木田選手は日本ハムを戦力外になった後、『石川ミリオンスターズ』という独立リーグに参戦。

木田優夫が独立リーグへ
出典:https://koibana.biz/

メジャーも経験した木田選手は独立リーグも経験しました。
とても経験豊富ですね。

独立リーグと聞いたらやはりレベルが落ちるイメージがあるかもしれませんがそれでもありません。
例えばロッテの「角中勝也」選手は独立リーグ出身の選手です。
去年から名が知れ始めた中日ドラゴンズの「又吉克樹」選手も独立リーグ出身の選手です。
独立リーグと聞くとレベルが低いイメージがありますが、プロ野球戦を生むほどレベルは高いです。
木田選手はその独立リーグ(石川ミリオンスターズ)で2年間過ごしました。
木田選手は2年連続で50登板を達成。
引退した2014年には歴代最多登板記録を作りました。
2014年に現役を引退しました。

木田優夫が日ハムGM就任! 清宮幸太郎をドラフトで獲得!?

田優夫選手は現役を引退したあと再び日本球界に復帰しました。
現役を引退し日本球界に復帰と聞くとよくわからないと思います。
木田選手は次は「選手」としてではなく「GM」として日本球界に復帰しました。
木田選手は現役引退した翌年から現役時代最後に所属しいていた日本ハムのGMに就任することになりました。
なので今年の2018年で4年目のGMとなりました。
そして木田選手はGMとしても活躍しています。
最近の活躍といえば2017年のドラフト会議で大注目の「清宮幸太郎」選手が7球団競合しその中から当たりくじをひいたことでしょうか。

木田優夫GM
出典:https://mainichi.jp/

ドラフト会議での野手の最多競合は、阪神の「福留孝介」選手の7球団競合がいままで最高でしたので清宮選手はそれに並んだことになります。
7球団競合する清宮選手もすごいですが、その中からあたりくじをひいた木田選手もすごいですね。
ちなみに木田選手は左手でくじをひいたのですが、左手でくじを引いてと言ったのはあの「明石家さんま」さんのようです。
2017年日本ハムはBクラスに。
これからの活躍に期待です。

最後にまとめ

かがでしょうか?
木田優夫選手について簡単にまとめると

①1986年のドラフト会議で読売ジャイアンツから1位指名を受けプロ入り。高校は日本大学明誠高等学校出身。
②高卒2年目に奪三振王のタイトルを獲得。先発・中継ぎ・抑えなんでもこなす便利屋として活躍。ヤクルトでは2年連続50登板を達成。
③日ハムを去った後は独立リーグに移籍。引退した2014年には歴代最多登板記録を作り引退した。
④引退後は日ハムのGMに就任。現在もGMを務める。2017年ドラフト会議では7球団競合した清宮幸太郎選手を引き当てる。

これからは選手としてではなくGMとしての期待がかかる木田優夫GM。
Bクラスに沈んだチームを日本一に導いてほしいですね。

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