高津臣吾の現在はヤクルト二軍監督?現役時代の成績やエピソードも

2017年のヤクルトスワローズはシーズンを終え順位を見ると結果は最下位。
「真中満」監督は解任され、新監督に「小川淳司」監督が新監督に就任しました。
一軍の監督は代わりましたが、ではヤクルト二軍の監督は誰か知っていますか?

それは現役時代にはヤクルトのリリーフとして活躍した『高津 臣吾(たかつ しんご)』選手が二軍監督を務めます。
この高津選手ですが、実はメジャーにも挑戦したことがあるんですよ!

今回は現在ヤクルトの二軍監督を務める高津臣吾選手について、現役時代の成績やエピソードを紹介していきます。

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高津臣吾のプロフィール

高津臣吾
出典:http://column.sp.baseball.findfriends.jp/
名前:高津 臣吾(たかつ しんご)
出身地:広島県広島市南区
生年月日:1968年11月25日
身長:180cm
体重:75kg
プロ入り:1990年 ドラフト3位
所属球団:ヤクルトスワローズ (1991 – 2003)
シカゴ・ホワイトソックス (2004 – 2005)
ニューヨーク・メッツ (2005)
東京ヤクルトスワローズ (2006 – 2007)
デビュー:1991年4月24日

高津選手は亜細亜大学出身で1990年ドラフト会議で3位指名を受けて、ヤクルトスワローズに入団。
高津選手といえば中継ぎのイメージが強いと思いますが、入団当時は先発もやっていました。

プロ3年目から本格的にリリーフに転向し見事50登板をクリア。
1994年にはセーブ王にも輝きました。
その後はリリーフ投手として何度もヤクルトのリーグ優勝、日本一に貢献しました。
2004年にはメジャーに挑戦しました。

高津臣吾の現役時代の成績は? チーム日本一、リーグ優勝に貢献

津臣吾選手は入団投手は先発投手として起用されていました。
高津選手が中継ぎに本格的に転向したのはプロ3年目のことでした。
この年から抑えも務めるようになりました。
プロ初セーブも記録し、当時の球団記録を塗り替える20セーブを挙げてヤクルトのリーグ優勝、日本一に貢献しました。

当時の監督は、あの名将と呼ばれた「野村克也」監督でした。

日本シリーズでは3セーブをあげチームが日本一になった時は胴上げ投手にもなりました。
その後も高津選手の活躍は続きます。

高津臣吾が最優秀救援投手を受賞
出典:http://column.sp.baseball.findfriends.jp/

翌年にはリーグ最多セーブを記録し最優秀救援投手に選ばれました。
1995年のリーグ優勝、日本一にも高津選手は貢献しました。
自身のセーブ記録を更新する28セーブを挙げ、当時の球団セーブ記録も更新した高津選手。
さらには日本シリーズで日本一になった時は、2度目の胴上げ投手になりました。
2度も日本シリーズ胴上げ投手になるなんてすごいですね。
1997年、2001年のリーグ優勝、日本一にも高津選手は貢献しました。

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高津臣吾の通算成績がすごい! 日米通算300セーブ!

津臣吾選手は先ほど紹介したプロ3年目となった1993年や1995年以外にも、1997年と2001年の日本シリーズもヤクルトが制し日本一となりましたが、当時も高津選手が胴上げ投手になりました。
4回も胴上げ投手ってすごい!

そして、高津選手は2003年にメジャーに挑戦します。
メジャーリーグでは「ホワイトソックス」「メッツ」などのチームで活躍します。

高津臣吾のメジャーリーグ時代
出典:http://news.livedoor.com/

そして、なんと高津選手は日米通算すると300セーブを達成しています。
日米通算で300セーブを記録したほかの選手といえば、横浜ベイスターズでそのキレのあるフォークで名が知られた「佐々木主浩」選手がいますね。

実はメジャーに挑戦する前に、最後の日本球界でのシーズンでは佐々木選手が持つ通算229セーブのプロ野球記録を更新してからメジャーにも挑戦しています!
さらに当時の球団セーブ記録も更新しているので、高津選手のすごさがよくわかると思います。

高津選手はメジャーに挑戦する前の日本球界の12年間のうち8回も40登板を達成しています。
さらには最優秀救援投手に4回も輝いています。
当時は球界トップレベルのリリーフ投手だった高津選手。

高津臣吾はどんな選手だった? エピソードも

津臣吾選手といえば、そのよく落ちるシンカーが武器でした。
「遅いシンカーも身につけろ」と当時の野村克也監督にアドバイスを受けた高津選手。
それがきっかけで高津選手はここまで活躍する選手になりました。

高津臣吾と野村克也監督
出典:https://sportiva.shueisha.co.jp/

今の日本球界の現役選手でシンカーを使いこなす選手といえば、ロッテの「石川歩」選手でしょうか?
このシンカーにはメジャーの選手たちも苦労したようです。
高津選手は一時期抑えを任せられ、開幕から24試合連続無失点記録を作りました。
高津選手すごいですね!

メジャーでも通用した高津選手ですが、どんな選手にも引退する時がきます。
2006年にチームメイトだった「古田敦也」選手が、選手兼任監督として監督に就任することがきっかけでヤクルトに復帰することになりましたが、翌年はそのヤクルトから戦力外通告を受けることになりました。

その後はカブス・韓国リーグ・台湾リーグ・独立リーグで現役を続け、2011年に引退することになりました。
現役にこだわり続けた高津選手は42歳まで現役を続けました。
ちなみに「松井秀喜」選手にはプロ初ホームランを打たれていますが、その後メジャーで再び勝負をすることになりました。

最後にまとめ

かがでしょうか。
高津臣吾選手について簡単にまとめると

①1990年のドラフト会議でドラフト3位指名を受けヤクルトスワローズに入団。プロ3年目からリリーフ投手になる。
②中継ぎに転向した1年目からチームの日本一、リーグ優勝に貢献。日本シリーズでは胴上げ投手となる。
③日本シリーズで4回も胴上げ投手となる。40登板を8回クリア。日米通算300セーブを達成。
④シンカーを武器にメジャーでも通用した。ヤクルトを戦力外になった後もカブス・韓国リーグ・台湾リーグ・独立リーグで現役を続け2011年に引退。

高津選手は現在ヤクルトの二軍監督を務め、「高津選手」ではなく「高津監督」として活躍しています。
また高津選手が現役だったころのようにチームを強くしてほしいですね。

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