歴代3位の通算ホームランを打った『門田 博光(かどた ひろみつ)』選手を知っていますか?
現役時代は、南海ホークスやオリックスなどで活躍をした門田選手。
大砲と呼ばれた門田博光選手とはどんな選手だったのでしょうか?
引退までの経歴も気になるところ。
調べてみると、とにかくホームランに対するこだわりが凄いんです!
その伝説に迫ってみましょう!
また、野村克也との関係も合わせて調べてみました。
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門田博光のプロフィール
出典:https://middle-edge.jp/
出身地:山口県小野田市
生年月日:1948年2月26日
身長:169cm
体重:81kg
プロ入り:1969年 ドラフト2位
所属球団:南海ホークス (1970 – 1988)
オリックス・ブレーブス (1989 – 1990)
福岡ダイエーホークス (1991 – 1992)
デビュー:1970年4月12日
門田博光選手は、1969年のドフラト2位指名で南海ホークスに入団しました。
高校は奈良の天理高校出身で、その後社会人チームに進みプロ入りしました。
門田選手は2年目からレギュラーとして定着。
2年目から初めての打撃タイトルとなる打点王を獲得。
その後本塁打王にもなりました。
大砲として活躍した門田選手は2500安打も達成。
そして歴代3位の通算ホームランを打ちました。
1989年には、南海ホークスからオリックスにトレードで移籍しました。
その後はダイエーホークスに復帰し、1992年に引退しました。
門田博光と野村克也の関係は?
門田博光選手がレギュラーを獲得したのはプロ2年目のことでした。
打率.300、31本塁打、120打点を記録して打点王に輝きました。
その後は、3番として起用された門田選手。
当時の監督は『野村克也』監督。
出典:https://www.jiji.com/
門田選手はホームランへのこだわりが強く、バッテイングはホームランにこわだるバッテイングをしていました。
しかし、当時監督だった野村監督はその考え方を変えさせて「ホームランを狙うのではなくチームのためにヒットを狙てほしい」と話しました。
しかし門田選手は絶対にヒットを狙うバッテイングスタイルに変えることはありませんでした。
野村監督はヒット狙いにすれば3割5分は打てると言っていました。
しかし、それでも門田選手はホームランへのこだわりが変わらないため、王選手に説得するよう頼みました。
しかし「ホームランはヒットの延長」と王選手は言いますが、一方の門田選手は「ホームランの当たり損ねがヒット」と話しました。
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門田博光のホームラン伝説が凄い!
野村克也監督が解任した後、門田博光選手は「ホームランへのこだわりを貫く」ことができるようになりました。
野村監督がいなくなってから、ホームランの数が毎年増えていきました。
3年連続40本塁打を達成。
さらに2回も本塁打王を獲得し、ホームランへのスタイルを貫きます。
出典:https://ameblo.jp/
野村監督が監督が務めていた時は3番で起用されていましたが、野村監督解任後は4番で起用されるようになりました。
その門田選手の活躍は晩年になっても変わらず、40歳になっても活躍しました。
40歳まで現役を続けるということが厳しいプロ野球という世界で、続けるだけでなく活躍もしました。
40歳で門田選手は打率.311、44本塁打、125打点という成績を残しました。
タイトルは本塁打王、打点王、さらにMVPにも輝きました。
40歳で44本塁打は日本初の快挙!
40歳を超えても活躍する選手は少ないんですよね。
例えば、阪神の「福留孝介」選手は40歳になっても主力選手として活躍していますが、門田選手ほどの成績ではありませんね。
⇒福留孝介の中日時代・阪神時代の成績は?天才エピソードがスゴイ!
門田博光の引退までの経歴は?
門田博光選手の現役時代は、南海ホークス一筋でプレーしていましたが、トレードでチームを去ることになります。
トレード移籍先のチームはオリックスブレーブスでした。
オリックスブレーブスは、現在でいうオリックスバファローズの前身球団にあたる球団です。
移籍後のオリックスでも変わらず門田選手は活躍しました。
2試合連続ホームランを打ちました。
しかし、そのオリックスを移籍した2年目で戦力外通告を受け、チームを去ることになりました。
戦力外通告を受けた門田選手を拾った球団は、古巣のダイエーホークスでした。
移籍する時は南海ホークスだった名前ですが、門田選手が復帰する時にはダイエーホークスに名前が変わっています。
出典:https://www.nikkan-gendai.com/
しかし、門田選手の体に限界もあり、ダイエーホークスで2年を過ごし現役を引退することになりました。
門田選手が引退したのは1992年のことでした。
引退時に本塁打を奪った投手の数は、なんと184人にもなります。
これは「王貞治」選手の183人を抑え、2003年に「清原和博」選手に抜かれるまで1位でした。
最後にまとめ
いかがでしょうか?
門田博光選手について簡単にまとめると
②当時の野村克也監督からはホームランではなくヒットを狙うバッテイングをするよう言われていた。しかし門田選手はホームランへのこだわりが強く、ホームランを狙いバッテイングスタイルを貫いた。
③野村克也監督解任後は3年連続で40本塁打を記録。本塁打王も2回記録した。
④引退時に本塁打を奪った投手の数は184人。王貞治選手を超える記録だった。
大砲と呼ばれた門田博光選手。
現役時代は、40歳になっても活躍するすごい選手でした。
まさに伝説のホームランバッター・門田博光!
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