横浜DeNAベイスターズで、高い人気で外野を守っていた『金城 龍彦(きんじょう たつひこ)』選手。
現在の横浜DeNAの外野陣は、ライトは「梶谷隆幸」選手。
センターは「桑原将志」選手。
レフトは4番の「筒香嘉智」選手ですね。
金城選手は、主にセンターとライトを守っていました。
当時の外野には、2017年に引退した「下園辰哉」選手やソフトバンクホークスにFA移籍した「内川聖一」選手がいました。
あの内川世一選手と一緒に外野を守っていたんですね。
そんな横浜DeNA外野陣の一人として活躍した、金城龍彦選手の全盛期に迫ってみましょう。
また、金城選手の現在についても合わせて調べてみました。
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金城龍彦のプロフィール
出典:https://www.pinterest.fr/
出身地:大阪府大阪市東成区
生年月日:1976年7月27日
身長:177cm
体重:80kg
プロ入り:1998年 ドラフト5位
所属球団:横浜DeNAベイスターズ (1999 – 2014)
読売ジャイアンツ (2015)
デビュー:1999年10月3日
金城龍彦選手は、1998年のドラフトで5位指名を受け横浜ベイスターズに入団しました。
当時はまだ横浜DeNAベイスターズという名前ではなく「横浜ベイスターズ」という球団名でした。
金城選手は社会人チームから入団してきました。
横浜ベイスターズに入団した金城選手は、投手として活躍していましたがプロ入りを機に、野手に本格的に転向することを決めました。
金城選手がブレイクしたのは2000年のプロ2年目のこと。
この年に新人王と首位打者を獲得しました。
見事なデビューですね。
それからは横浜ベイスターズの外野のレギュラーとして活躍しました。
金城龍彦の全盛期の成績は?
金城龍彦選手は1998年のドラフトで5位指名を受け、横浜ベイスターズに入団しました。
横浜DeNAベイスターズに名前が変わったのは2013年のことでした。
金城選手は1年目こそは出番はないものの、2年目からブレイク!
2年目の2000年は首位打者、新人王を獲得。
一時期は、打率4割を超え.346という驚異的な打率を残しました。
出典:Twitter
金城選手といえば、やはり外野というイメージが強いと思いますが、当時はサードを守っていました。
しかし守備がとてもへたくそで、よくエラーをしていました。
それがきっかけで、翌年から新監督として就任した「森祇晶」監督のアドバイスで外野にコンバートすることになりました。
金城選手はそれから10年近く、外野陣のレギュラーとして活躍。
金城選手のキャリアハイのホームラン数は、2003年に記録した16本が最多で、ホームランバッターというより安打を製造する選手。
今の横浜DeNAの1番にしてセンターを守る「桑原将志」選手のような選手でした。
桑原選手も人気のある選手の一人ですが、当時の金城選手もてとも人気のある選手でした。
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金城龍彦は守備は上手かった?
さきほど紹介した通り、金城龍彦選手は2001年にサードから外野にコンバートすることになりました。
金城選手はプロに入る前にピッチャーをしていたこともあり、ともて肩が強かったことと足が速い、いわば「俊足」でした。
では外野にコンバートして守備はうまくなったのでしょうか?
出典:Twitter
サードとして主に出場した金城選手は、2001年に12失策を記録しました。
(失策:エラーしたこと。12失策ということはシーズンで12回エラーしたということです。)
しかし外野にコンバートしてからの守備成績を見てみると、失策が多かった年でもたったの5回です。
それも初めて外野にコンバートした2001年の1年目と2004年の3年目の時です。
失策数0という素晴らしい数字を残した年もあり、金城選手の「強肩」「強打」という魅力を生かしたコンバートは成功でした。
金城選手はその守備のうまさを評価され、2005年と2008年に外野部門でゴールデングラブ賞を受賞しています。
横浜ベイスターズの外野陣の一人として攻走守として活躍した金城選手は、その後、巨人のコーチとして活躍します。
金城龍彦の現在は巨人のコーチ なぜ巨人に移籍?
金城龍彦選手は、なぜ現在巨人のコーチを務めているのでしょうか?
もともとは横浜ベイスターズで活躍した選手。
横浜DeNAベイスターズでコーチを務めいても不自然ではありません。
では、なぜ巨人でコーチをしているのか?
理由は、横浜DeNAから巨人に金城選手が移籍したからです。
金城選手は2013年からレギュラーから外れ、どんどん出番が減ってきました。
2014年に打撃コーチとして就任し、現役を引退するよう球団から提案されましたが、現役を続けたいということでFA権を行使。
巨人に移籍しました。
出典:Wikipedia
金城選手は巨人で選手として活躍してわけではありませんでしたが、1年限りで巨人の選手を引退し巨人の打撃コーチに就任しました。
そもそもなんで金城選手の出番が減ったのか疑問に感じませんか?
当時の横浜DeNAには、新しい若い選手がたくさん出てきたため、「世代交代」として金城選手はチームを去ることになりました。
金城選手がチームを去ってからは、「モーガン」という外国人選手がいましたが、1年限りで横浜DeNAを去りました。
しかし「筒香嘉智」選手や「梶谷隆幸」選手という選手たちが外野のレギュラーに定着しました。
最後にまとめ
いかがでしょうか?
金城龍彦選手について簡単にまとめると
②1年目の2000年にブレイク。首位打者と新人王を獲得。当時はサードを守っていた。翌年から「強肩」「俊足」をいかすために外野にコンバートする。
③サードを守っていた時は12もあった失策数が、外野にコンバートしてからは大きく減る。ゴールデングラブ賞を2回も受賞する。
④現在は横浜DeNAではなく巨人で打撃コーチを務める。金城選手がチームを去った後は筒香嘉智選手や梶谷隆幸選手がレギュラーに定着した。
今の横浜DeNAの外野は筒香嘉智選手や梶谷隆幸選手が守っていますが、それまでは金城選手が守っていたんですね。
巨人では打撃コーチとして活躍してほしいですね。
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