鈴木尚典(横浜ベイスターズ)の成績は?マシンガン打線やエピソードも

2016年に球団初のクライマックスシリーズに進出した横浜DeNAベイスターズ。
翌年には日本シリーズにも進出し、勢いが出てきている横浜DeNAベイスターズですが、最後に日本一になったのは1998年のことでした。
もう20年以上前のことです。
当時のことを知らない野球ファンも多くいるでしょう。

当時の打線は強力で、「マシンガン打線」と呼ばれていました。
その打線を担っていた『鈴木 尚典(すずき たかのり)』選手を知っていますか?

今回はそのマシンガン打線を担った選手の一人、鈴木尚典選手について成績エピソードを紹介していきます。

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鈴木尚典のプロフィール

鈴木尚典
出典:http://sp.baseball.findfriends.jp/
名前:鈴木 尚典(すずき たかのり)
出身地:静岡県浜松市南区
生年月日:1972年4月10日
身長:186cm
体重:88kg
プロ入り:1990年 ドラフト4位
所属球団:横浜ベイスターズ (1991 – 2008)
デビュー:1991年10月14日

木尚典選手は1990年ドラフト4位で横浜大洋ホエールズに入団。
当時は横浜DeNAベイスターズではなく大洋ホエールズという名前でした。

高校時代から打撃はとても良い選手なのですが、守備に難がある選手でした。
鈴木尚典選手は横浜高校出身。
現在横浜DeNAの4番を務める「筒香嘉智」選手の高校時代にもお世話になった「渡辺」監督の下高校時代を過ごしました。

2年生の時には甲子園にも出場し、高校時代は通算39本のホームランを打ちました。

プロ入り後は主に3番を任された鈴木尚典選手。
プロ入り後も守備は苦手で、主にレフトを守っていました。
1998年の日本一になった時もマシンガン打線を担い日本一に貢献しました。

鈴木尚典の成績は?

木尚典選手はプロ3年目の1995年からスタメンに定着するようになります。
鈴木尚典選手は主に3番を打っていました。

97年には初タイトルとなる首位打者を獲得
さらに21本のホームランを打ちました。

鈴木尚典の成績
出典:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/

ちなみに鈴木尚典選手が20本をクリアしたは現役時代で2度だけなので、その1度目がこの年となりました。
そして、この首位打者を獲得年にはなんと1億円プレイヤーの仲間入りも果たしました。
そして1998年は2年連続で首位打者を獲得します。
この年、大洋ホエールズはリーグ優勝を達成し、日本シリーズに進出しました。
日本シリーズでは初戦にタイムリーを打つなど大活躍だった鈴木尚典選手。
打率は驚異の.480という数字を残し、大活躍の日本シリーズでした。

ちなみに大洋ホエールズがリーグ優勝を達成したのは38年ぶりの快挙でした。
38年も優勝できなかった大洋ホエールズですが、横浜DeNAベイスターズも20年も優勝から遠のいています。
横浜DeNAベイスターズも20ぶりの快挙となるリーグ優勝を達成し、日本シリーズでリベンジしてほしいですね。

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マシンガン打線とは? 当時どんな選手がいた?

きほどから出てくる「マシンガン打線」
当時の大洋ホエールズの打線はとても強力でマシンガン打線と呼ばれていました。

強力打線といえば「ホームラン」が良く出るイメージが強いかもしれませんが当時の打線はホームランよりもたくさんのヒットの集中打が多かったです。
なのでマシンガン打線という愛称がつきました。

リーグ優勝を達成した年は、鈴木尚典選手は主に3番を打っていましたが、他にどんな選手がいたのでしょうか。

マシンガン打線
出典:Twitter

3番には首位打者を獲得した鈴木尚典選手がいましたが、当時の1番には「石井琢朗」選手がいました。
石井琢朗選手は当時最多安打、盗塁王のタイトルを獲得しました。

チームの打線には、打率3割を達成した選手がなんと4人もいました。

一方ホームランを20本以上打った選手がおらず「ホームラン」が特徴の強力打線ではなく「ヒットの集中打」がとても多い打線でした。
石井琢朗選手は今年からヤクルトスワローズのコーチに就任しました。
去年は広島カープのコーチを務めチームの二年連続のリーグ優勝にとても貢献しました。
石井琢朗選手のほかにも「ローズ」という外国人選手が4番を担い、中日に移籍した「谷繫元信」選手もいました。

鈴木尚典選手はどんな選手? 首位打者獲得のエピソードも

1998年日本一に貢献した鈴木尚典選手。
2年連続首位打者も獲得しました。
実は最多安打も獲得目前であと1本足りずチームメイトのさきほど紹介した石井琢朗選手が獲得しました。
ちなみに首位打者争いもとても熱く広島カープの「前田智徳」選手や阪神の「坪井智哉」選手と首位打者を繰り広げていました。
シーズンも残り試合になり最後は前田智徳選手のいる広島カープと鈴木尚典選手がいる大洋ホエールズの直接対決となりました。

鈴木尚典
出典:https://baseballking.jp/

鈴木尚典選手の打率が.337、広島東洋カープの前田智徳選手の打率が.335となっていました。
しかし当時の大洋ホエールズの監督の「権藤博」監督が試合前に「広島が前田を出場させるのなら、鈴木を休ませ、前田を全打席敬遠させる」と発言したことがきっかけで前田選手は試合に出るのをやめたそうです。
その理由が「ファンにみっともないものを見せたくない。敬遠されるくらいなら試合に出ない」だったそうです。
結果は前田選手も鈴木尚典選手も試合に出ることがなく鈴木尚典選手が首位打者を獲得しました。

最後にまとめ

かがでしょうか?
鈴木尚典選手について簡単にまとめると

①1990年ドラフト4位で横浜大洋ホエールズに入団。高校時代は筒香嘉智選手もお世話になった渡辺監督のもと横浜高校で過ごした。
②2年連続で首位打者を獲得し2年連続で日本一に貢献。日本シリーズでの打率は驚異の.480。
③当時のマシンガン打線には盗塁王、最多安打を獲得した石井琢朗選手やローズ選手が4番を担い中日に移籍した谷繫元信選手もいた。
④2年連続で首位打者を獲得した鈴木尚典選手だったが坪井選手や前田選手と熱い首位打者争いを繰り広げていた。

鈴木尚典選手は最後の大洋ホエールズの優勝に貢献しました。
横浜DeNAベイスターズも20年ぶりの日本一になれるといいですね。

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