Bリーグに所属するリンク栃木ブレックス。
リンク栃木ブレックスはB1リーグに参戦しています。
リンク栃木ブレックスといえば『田臥 勇太(たぶせ ゆうた)』選手ですよね!
小柄で素晴らしいプレイをする注目選手です。
田臥選手のスゴすぎる伝説、気になりませんか?
また、現在までの活躍も気になるところですよね!
そこで今回は、田臥選手のスゴすぎる伝説や、現在までの活躍について迫ってみました!
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田臥勇太のプロフィール
出典:https://www.tochigibrex.jp/
出身地:神奈川県横浜市
生年月日:1980年10月5日
身長:173cm
体重:75kg
プロ入り:2002年
デビュー:2002年
田臥選手は、神奈川県横浜市出身、173cmと小柄な選手で、ポジションはポイントガードを務めています。
中学校、高校、ブリガムヤング大学ハワイ校へ留学、すぐにプロ入りするすごい選手です。
プロ入りからトヨタ自動車アルバルクに入団し、その後NBAと契約、リンク栃木ブレックスに入団し、約11年所属しています。
リンク栃木ブレックスでは、もちろん主力選手。
試合では、アシスト王やスティール王などを獲得しています。
選手を影で支える大活躍の選手ですね!
ガードとしてチームをまとめあげ、チームを引っ張り、ディフェンスやアシストなど全てにおいて活躍するリンク栃木ブレックスの主力となる選手なのです!
リンク栃木ブレックスに所属し、約11年。
リンク栃木ブレックスや、バスケットボールに暑い力を注いでいるのがわかりますね。
田臥勇太の伝説がスゴすぎる!NBAでもプレー!?
田臥選手は、日本人初のNBAプレーヤーなんです!
あなたは知っていましたか?
2003年5月、トヨタ自動車アルバルクを退団し、同年7月、NBAダラス・マーベリックスのサマーリーグに参加し、同年9月、NBAのデンバー・ナゲッツと契約。
プレシーズン戦3試合に出場しましたが、開幕ロースターには残れず解雇さました。
ナゲッツのチームメイトには、田臥選手よりも身長の低い165cmの「アール・ボイキンス」がいましたが、ポジションを奪うことはできませんでした。
同年11月、ABA(アメリカ・独立プロリーグ)のロングビーチ・ジャム・アルビレックスと契約し、ロングビーチ・ジャムでは「デニス・ロッドマン」とも一緒にプレイをしました。
2004年4月、ロングビーチ・ジャムで優勝を果たします。
2004年9月6日、NBAフェニックス・サンズと契約し、同年11月1日、フェニックス・サンズの開幕メンバーに登録され、日本人として初めてのNBAプレーヤーとなりました。
出典:http://www.nba.com/
その後、開幕戦を含む4試合に出場した(プレー時間は合計17分、7得点3アシストであった)が、同年12月18日に解雇されました。
サンズでは後にシーズンMVP、アシスト王になるスティーブ・ナッシュの指導も受けました。
同月、NBAのロングビーチ・ジャムと再契約し、NBAへの復帰を目指しました。
2005年9月、NBAロサンゼルス・クリッパーズと契約し、プレシーズン戦7試合に出場したがシーズン開幕前の10月31日に経験不足を理由に解雇されました。
同年11月3日にNBA傘下のNBAデベロップメント・リーグに9巡目70位でドラフト指名され、アルバカーキ・サンダーバーズに入団しました。
チームの主要選手として活躍したが、シーズン後半に怪我で戦線離脱しました。
2006年7月、NBAダラス・マーベリックスのサマーリーグに参加し、同年11月にNBAデベロップメントリーグのベーカーズフィールド・ジャムに3巡目11位指名を受けて入団しました。
ジャムの前身はNBAのロングビーチ・ジャムであるため、2年ぶりの古巣復帰ともいえます。
2007年11月にジャムのロースターから外れ、同リーグのアナハイム・アーセナルへ移籍。
2008年7月、NBAニュージャージー・ネッツのサマーリーグに参加しています。
NBAで6年も頑張ってきた田臥選手。
すばらしいですよね~!
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田臥勇太の現在までの活躍を徹底解析!
1996年4月、バスケットボールの名門校・秋田県立能代工業高等学校に入学後、即スタメンとなります。
3年連続で高校総体、国体、全国高校選抜の3大タイトルを制し、史上初の「9冠」を達成しています!
出典:https://www.nikkansports.com/
公式戦で敗れたのは、1年生の時の東北大会で仙台高校に敗れたわずか1回のみです。
全国高校選抜では3年連続でベスト5に選出されました。
高校3年生時は地元で開かれた、かながわ・ゆめ国体に出場、全国高校選抜では東京体育館に1万人の観客を動員。
また、この9冠目の試合が同校で50回目の全国大会優勝でもあり、現役高校生としては史上2人目の全日本候補選手に選ばれました。
1998年、男子アジア・ジュニア選手権大会に出場し第3位、男子ジュニア世界選手権に進出しました。
1999年1月、史上初の特別推薦で能代工業高等学校が全日本総合選手権に出場しました。
同年3月、ナイキ・フープサミット(全米ジュニア選抜と世界ジュニア選抜)に日本人として初めて出場。
2002年5月、スーパーリーグ・トヨタ自動車アルバルクに入団しました。
同年11月8日、02-03年の開幕戦新潟アルビレックス戦の第3クォーターから出場し、JBLデビューを果たしています。
14分の出場で8得点、2アシスト。
満員御礼となる3,323人の観客を動員しました。
レギュラーシーズン21試合・プレーオフ4試合すべてに出場し、通算113得点・63アシストを記録。
チームの準優勝に大きく貢献し、新人王を受賞、オールスターにもファン投票1位で選出されました。
その後NBAで活躍し、6年ぶりに国内復帰となりました。
2008年8月31日リンク栃木ブレックスに入団し、2008-09年レギュラーシーズンでは、アシスト王・スティール王の2冠に輝き、レギュラーシーズンのベスト5に選出されました。
2009年11月28日に復帰後、レギュラーシーズンを2位で終え、チームをJBL昇格後初のプレーオフに導きました。
2010年4月のJBLファイナルで、それまで2連覇していたアイシンシーホースを3連勝で破り、初優勝(JBL)を果たしています。
チームの中心選手として活躍し、プレーオフのMVPに選出されました。
出典:http://www.apalog.com/
また、年間ベスト5賞にも選出されています。
7月、12年ぶりにバスケットボール男子日本代表の試合に出場しました。
2010年11月、日本代表として初めて主要国際大会である2010年アジア競技大会(中国・広州)に出場、1994年アジア競技大会(広島市)以来16年ぶりのベスト4入りに貢献しています。
準決勝で韓国に敗れ、3位決定戦ではイランに敗れたためメダル獲得はならなかった。
開催地が中国であることから各試合で激しいブーイングを受けたが、「国内ではできない経験をさせてもらっている」「相当嫌われているんだなと思うけど、見てろよ、とモチベーションになる」と感想を述べています。
2013-14年レギュラーシーズンからはJBLがNBLとなったが、引き続きリンク栃木でプレイしています。
オールスターに選出されるとともに、ポカリスエットNBL月間MVP(11月、4月)受賞、アシスト王、スティール王、ベスト5を獲得しました。
2014-15年レギュラーシーズンでは、オールスターに選出されるとともに、アシスト王、ベスト5を獲得しています。
最後にまとめ
いかがでしたか?
田臥勇太選手のことを簡単にまとめると
②田臥勇太選手は高校から現在まで活躍をしている。高校時代は1年時の時から即スタメンとして活躍し、プロでは新人王を受賞、アシスト王、スティール王などを受賞している。
数々の伝説をつくってきた田臥選手。
田臥選手は、リンク栃木ブレックスにいなくてはならない存在だということがわかりますね!
これからの活躍も目が離せません!