新日本プロレスの「エース」『棚橋 弘至(たなはし ひろし)』選手は、「100年に一人の逸材!」と言われるスーパースターですね。
これはプロレスファンであれば、よく耳にしますよね。
ただ、この「エース」や「100年に一人の逸材!」というのは、なんと棚橋弘至選手自身で発信し、世の中に浸透させたことは知っていましたか?
でも「プロレス界の逸材」であることは、プロレスラーとして歩んできた道のりや功績を知ることで納得できるはずです。
そこで今回は、棚橋弘至選手の獲得タイトル・記録などの功績や魅力に迫ってみましょう。
実は、努力家だったんですよ!
それでは、棚橋弘至選手のプロフィールから見ていきましょう!
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棚橋弘至のプロフィール
出典:http://number.bunshun.jp/
本名:棚橋 弘至(たなはし ひろし)
ニックネーム:「100年に一人の逸材」、「エース」、「ミスター東京ドーム」
生年月日:1976年11月13日
出身地:岐阜県大垣市
身長:181cm
体重:103kg
デビュー:1999年10月10日
得意技:ハイフライフロー、スリングブレイド、ドラゴンスープレックス、テキサスクローバーホールド
棚橋弘至選手の幼少期は、野球少年で、身体もさほど大きくはなかったそうです。
「プロレスラーになりたい!」と思い始めたのが高校一年生のとき。
野球部には所属していたものの、才能がないことに気づき、プロレスに興味が傾いてきたそう。
その時に活躍していたのが、闘魂三銃士「武藤敬司」、「蝶野正洋」、「橋本真也」です。
これらの選手や試合に多大な影響を受け、立命館大学に進学した棚橋弘至選手。
プロレス同好会へ入り「将来プロレスラーになります!」と宣言したそうです。
そして、大学2年生の春にはじめて新日本プロレスの入門テストを受け、結果は不合格。
その年の秋に2回目の入門テストでも不合格、3年生のとき3回目の入門テストでようやく合格しましたが、「長州力」より「合格だけど、入門は大学を卒業してからだ」と言われ、大学卒業後に晴れて入門することになりました。
棚橋弘至は最強レスラーなのか!? 功績・獲得タイトルは?
まずは、棚橋弘至選手の経歴・主なタイトル(2018年5月現在)を見て見ましょう。
- IWGPヘビー級王座(第45代、第47代、第50代、第52代、第56代、第58代、第61代)
- IWGPインターコンチネンタル級王座(第7代、第16代)
- G1クライマックス「優勝」(第17回、第25回)
- NEW JAPAN CUP「優勝」(2005年、2008年)
- プロレス大賞「最優秀選手賞」(2009年、2011年、2014年)
これは新日本プロレスでの「個人タイトル」のみを取り上げてみました。
これとは別に、他団体やタッグベルトを加えるとさらに多くのタイトルを獲得していることになります。
ここで注目したいのが、なんといっても『IWGPヘビー級王座』です。
これは日本のプロレス界でも『最高峰のベルト』であると言っても過言ではありません。
出典:https://ameblo.jp/
このベルトを『7代にわたって戴冠』し、防衛回数は28回で、ともに最多記録保持者であります。
ここまでのタイトルや記録をみると、『棚橋弘至は最強レスラー』と言ってもいいような気もしますが…
プロレスは『ファンに喜ばれてなんぼ』ですよね!
そこで『プロレス大賞 最優秀選手賞』(東京スポーツ新聞社が1974年に制定)を受賞した歴代の選手を調べてみると
1位 アントニオ猪木 6回
2位 天龍源一郎 4回
2位 武藤敬司 4回
4位 ジャンボ鶴田 3回
4位 棚橋弘至 3回
4位 オカダ・カズチカ 3回
これを見るとそうそうたる面々が名を連ねていますね。
ただ棚橋弘至選手はまだ現役レスラーでありますから、「アントニオ猪木」さんを抜いて、正真正銘の最強レスラーになってほしいです。
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棚橋弘至の魅力とは?
棚橋弘至選手は「生まれてから一度も疲れたことがない!」と豪語しています。
ここで2012年(東京ドーム大会)棚橋弘至選手のIWGPヘビー級王座防衛後に「オカダ・カズチカ」と棚橋弘至選手のマイクパフォーマンスを挙げてみると、
オカダ:「棚橋さん、これからは〝逸材″に代わって〝レインメーカー″が新日本プロレスを引っ張っていきますんで、お疲れ様でした」
棚橋:「わりぃなぁ、オカダ。俺はな、生まれてから疲れたことがないんだ!」
このくだりで、会場は大いに盛り上がり、「100年に一人の逸材」でなければこんなことは言えませんよね。
この他にも棚橋弘至選手は、試合後に「エアギター」のパフォーマンスをするといったプロレスに新しい風を吹き込んでいきます。
出典:https://www.nikkansports.com/
しかし、この「新たな風」は最初から受け入れられたわけではなく、ファンからは「ブーイング」を浴びていた時期があったそうです。
この理由は根強く残る「ストロングスタイル」にあり、古き良きファンは「アントニオ猪木信者」であり、「プロレスラーは最強である」と信じていました。
それでも棚橋弘至選手は自分の信じた道を歩みます。
派手なコスチュームを着たり、ファンに向かって「愛してまーす!」と叫んだりすることで、新たなファン層(特に女性ファン)を獲得し、プロレス界を変えることに成功するのです。
更に新日本プロレスの道場には、創業者であるアントニオ猪木の写真が掲げられていましたが、新たな時代へと歩むためにその写真を外したのも棚橋弘至選手であると言われています。
やはり『逸材』に間違いありませんね!
棚橋弘至は実は努力家だった!
棚橋弘至選手はプロレスラーとしては決して身体が大きい方ではなく、また過去にレスリングやほかの武道等で輝かしい実績があるわけでもありません。
それでもIWGPヘビー級王座になり、新日本プロレスが低迷時期からV字回復した立役者でもあります。
ここまで功績を残すことができたわけは何だったのでしょうか?
まずは筋骨隆々の肉体美ですね!
これで特に外国人のように身体も大きくて、パワーがある選手に負けない力を手に入れることができたのではないでしょうか。
なんと年間に300日を超える日数を筋トレに費やしているそうです。
つまり、筋トレをしない日が1週間に1日しかないということですね。
そのトレーニング内容の中には、懸垂100回なんてものもあります。
体重100㎏の人が100回って!
やはり『逸材』としか言いようがありません。
そして、プロレスを世に広めるための活動も忙しい練習の合間を縫って行っています。
出典:Twitter
映画やバラエティー・クイズ番組の出演、ブログやツイッターの配信、講演会、雑誌等の取材、執筆活動と、ここまで現役レスラーとしてメディアに出ているのは棚橋弘至選手が最初ではないでしょうか。
これが新日本プロレスのV字回復の要因のひとつでもあるわけです。
ここまで自分自身を成長させるための努力と、プロレス界の発展に貢献しているのは、現役プロレスラーの中では間違いなく『一番』ではないでしょうか。
それでも「生まれてから一度も疲れたことがない!」
まさに「100年に一人の逸材」
最後にまとめ
いかがでしたか?
棚橋弘至選手について簡単にまとめると
②アントニオ猪木を超えて、真の『最強レスラー』へ。
③プロレス界に新たな風を吹き込み、『ストロングスタイル』プラスαの世界へ。
④自分自身とプロレス界の発展のために努力を惜しまない姿は、正真正銘の『100年に一人の逸材』。
棚橋弘至選手は自らを鼓舞するために、自分のことを「エース」や「100年に一人の逸材」と発信した結果、今ではそれが「だれもが認めること」となりました。
そこにはたくさんの鉄の意志の積み重ねがあり、そこにファンはたくさんの勇気をもらっています。
今後もプロレスファンをさらなる高みへ導いてくれること間違いなしですね!