プロ野球セ・リーグの球団、東京ヤクルトスワローズに在籍する村上宗隆(むらかみむねたか)選手が2022年9月13日、神宮球場での巨人戦で今季55号本塁打を放ち、1964年に王貞治選手(巨人)のつくったシーズン日本選手最多記録に58年ぶりに並び話題になりました。22歳7カ月での到達は当時の王選手の24歳4カ月を上回る史上最年少記録。
その後、10月3日には日本選手シーズン最多となる56号本塁打を放ち、王選手の記録を更新しました。
本塁打と打点は断然トップ、打率でも首位を守り、史上8人目の三冠王を最年少で達成した話題の村上選手はどんな選手なのでしょうか。
村上宗隆のプロフィールと家族構成
- 生年月日:2000年2月2日生まれ
- 年齢:22歳(2022年11月現在)
- 出身地:熊本県
- 身長:188cm
- 体重:97kg。
村上宗隆選は、父・村上公弥(きみや)さん、母・村上文代(ふみよ)さん、兄・村上友幸(ともゆき)さん、弟・村上慶太(けいた)さんの5人家族です。
父・公弥さんは、現在、熊本でムラカミ不動産の代表取締役社長としてお仕事をされています。公弥さんも高校時代は熊本の強豪校の野球部でショートをしていましたが、右肩を手術して野球を断念。子どもたちに夢を託し、幼少期は厳しく指導していたようです。しかし、中学生になったら息子たちの人生と「頑張りたいなら頑張れ、努力だけは怠るな」というスタンスで接し、成長を見守ったとのこと。
母・公代さんは、身長170cm。高校時代はバレーボール部でアタッカーをしていたようです。父の指導が厳しい分、優しく、時にはなだめ役になっていたそうです。
宗隆選手の兄弟も野球選手です。2歳上の兄・友幸さんは、中学卒業後に東海大学付属熊本星翔高校へ。恵まれた体格と、最速149キロの好投が注目されましたが、プロ志願をせず大学に進学。一度は教師を志したようですが、最終的には野球を続け、現在は社会人野球の選手です。
また、4歳下の弟・慶太さんは、宗隆選手と同じく九州学院高校で内野手として活躍。2022年に夏の甲子園に出場しました。プロ野球志望届を提出していましたが、先日のドラフトでは指名漏れ。しかし、まだまだ今後の活躍に注目したい選手です。
村上宗隆の経歴
幼少期・小学校時代
3歳のころから、プラスチックバッドを振って遊んでいたそうです。4歳になると、兄とスポーツクラブに入団しますが、ボールを取り損ねて鼻血を出し、練習嫌いに。父から「男ならやると決めたことは最後までやり通せ」と咤激励されたそうです。
小学校4年生ごろから野球に没頭しはじめ、6年生で硬式野球チーム「熊本東リトルシニア」に入団します。ある日から村上選手は試合を終えて帰宅するとバットを振り始め、いつしか素振りが日課になっていきます。納得がいかなければ延々と振っていたそうです。
中学校時代
熊本東リトルシニア時代はかなり飛ばす選手だったそうで、ボールから近隣の民家を守るため「引っ張り禁止令」が出されるほどだったそうです。その時に左へ飛ばす練習を繰り返したことが、現在の逆方向へのアーチに繋がっていると言えます。
高校時代
九州学院高等学校に進学した村上宗隆選手は、1年から1塁手のレギュラーとして熊本大会で優勝、夏の甲子園に出場します。甲子園では、4番打者として出場しますが、初戦で敗退。
その後、1年の秋に捕手へ転向。2年・3年は熊本大会決勝までは進みましたが、結局は甲子園に出場できませんでした。甲子園出場は1年の夏のみですが、高校通算52本塁打を記録。その長打力は「肥後のベーブルース」と呼ばれ、プロスカウトに注目される存在となります。
プロ野球ドラフト指名
2017年10月26日に開催されたドラフト会議で、当時7球団が早稲田実業の清宮幸太郎選手をドラフト1位指名にしていました。しかし、抽選で清宮選手の交渉権を外したヤクルト・巨人・楽天の3球団が村上選手を外れ1位として指名。
抽選の末にヤクルトが村上選手との交渉権を獲得し、結果としてヤクルト入団となります。指名を受けた村上選手は「ホームランだけでなく、犠牲フライや進塁打など状況に応じたバッティングで、チームに貢献できる選手になりたい。そして、いつかは日の丸を背負いたい」とコメントをしています。背番号は55。3塁手としての入団となりました。
村上宗隆のヤクルト入団後の活躍
2軍での活躍
1年目の2018年には、高津臣吾監督(現1軍監督) が率いる2軍で活躍。高津監督は当時、若手選手を育てることに注力していました。そして、2軍での村上選手の活躍を見て「将来、村上は間違いなくヤクルトの4番に座る」と言及していたそうです。
同年9月には1軍昇格・即スタメンを勝ち取ることになります。
1軍での活躍
2年目の2019年には、全143試合に出場してセ・リーグ3位の36本塁打をマーク。新人王に選ばれた村上選手。
2020年は、打率.307、28本塁打、86打点。出塁率.427で最高出塁率を獲得し、ベストナインに輝きます。
2021年には、東京オリンピックの侍ジャパンとして金メダルに貢献。同年9月に史上最年少となる21歳7か月で通算100本塁打を達成しました。
2022年には、日本選手シーズン最多となる56号本塁打を放ち、史上8人目の三冠王を最年少で達成する注目の選手となりました。
最後に
数々の最年少記録や球団記録を更新し、神がかった活躍から「村神様」の愛称でも親しまれている村上宗隆選手。間違いなく、今シーズンのヤクルトを日本シリーズまで導いた立役者でしょう。2022年のプロ野球は幕を閉じましたが、また来年の村上選手の活躍に注目したいですね。