村田透と上原浩治の関係が気になる!経歴と成績は?ザリガニって何?

2015年メジャーで先発し、3Aのインターナショナルリーグの最多勝に輝いた選手と言えば?

『村田 透(むらた とおる)』選手です。

プロ入り後の日本人で、NPBデビューよりメジャーデビューの方が先という珍しい選手ですが、「田澤純一」選手のように直接アメリカへ渡ったわけではありません。
最初は3年だけ巨人でプレーしていましたが、わずか3年で戦力外通告を受けてしまったのです。

巨人にいたためか、それともアメリカで交流があったのか、村田選手で検索すると「上原浩治」選手の名前が一緒に出てくるんです。
この2人、何か接点があるのでしょうか?

また、巨人を戦力外通告になった後にインディアンスとマイナー契約を結びましたが、2015年に最多勝に輝くまで、どのような成績だったのでしょうか?

そして上原浩治選手以外にも「ザリガニ」というキーワードが出てきて、非常に気になりました。
俳優の「哀川翔」さんのカブトムシの飼育しているとか、ザリガニ関連の団体に何かしているとかなのでしょうか?

そんな村田透選手について、気になることをまとめて調べてみました!

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村田透のプロフィール

村田透
出典:https://www.fighters.co.jp/
名前:村田 透(むらた とおる)
出身地:大阪府泉南郡熊取町
生年月日:1985年5月20日
身長:183cm
体重:80kg
プロ入り:2007年大学生・社会人ドラフト1位
MLBデビュー:2015年6月28日
NPBデビュー:2017年4月2日

学校4年生で野球を始めましたが、最初は外野手としてプレーしていました。
高校に入るまでには投手に転向。

大阪体育大学浪商高校に進学し1年秋からエースとして活躍します。
1年時の秋季近畿大会でベスト8に導き、2002年のセンバツで1勝を挙げています。
その後、大阪体育大学に進学し、3年時の全日本大学野球大会では抑えとして起用され、優勝に貢献しました。
大学通算13勝10敗ですが、大学進学後から肘や肩の痛みを抱えながらのプレーとなってしまいます。

そしてドラフトの年になる2007年2月には、右足首の靭帯を切断という大ケガをしてしまいます。
手術をして、大半をリハビリをして過ごすことに。
しかし、それでも2007年ドラフト会議で巨人から外れ外れ1位の指名を受け、入団することになりました。

ちなみに最初は「大場翔太」氏、外れ指名は「篠田純平」氏です。
ちなみにこの2選手はすでに引退し、大場翔太氏は競輪選手を目指していて、篠田純平氏は2015年から広島の球団職員を務めています。
外れ外れ1位だった村田選手だけが現役を続けているということで、ドラフト時はこうなるとはファンは思わなかったでしょうね。

村田透と上原浩治の関係って?

田選手と上原選手の1番大きなわかりやすい共通点は、巨人の選手であるということでしょう。
しかし村田選手は2007年にドラフトで指名され、上原選手は2008年に海外FA権を行使しているので在籍がかぶったのはわずか1年だけです。
村田選手は2軍、上原浩治選手は1軍と接点も少なかったでしょうね。

巨人の選手という以外の共通点は、出身都道府県と大学が実は一緒なんです。
2人とも大阪府の出身で、大学は大阪体育大学です。

村田透と上原浩治
出典:https://www.daily.co.jp/

村田選手は、大阪体育大学の系列校の出身なのですんなり入学できましたが、上原選手は一般受験をして1度不合格になり、浪人して入学しています。
同じ大学の先輩後輩なら1軍と2軍の違いがあり、在籍年数が1年しかかぶってなくても交流があってもおかしくないですよね。
大阪体育大学出身で巨人から指名を受けた選手も、2018年現在は村田選手と上原選手だけです。

上原選手がメジャー挑戦した2年後、村田選手もマイナー契約でアメリカに行ったので、もしかしたらそこでも交流があったかもしれませんね。
また、村田選手は上原選手に憧れていて、上原2世と言われたこともあるって知ってましたか?
村田選手がメジャーで先発した際に、祝福のコメントを出していることもありました。
2018年シーズンは2人とも日本でプレーするので、セリーグとパリーグ、先発と抑えとリーグやポジションが全然違いますが、交流戦で対戦できたらいいなと思います。

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村田透のこれまでの経歴と成績は?

田選手は2007年ドラフト会議で、外れ1位で巨人に指名され入団します。
しかし、ドラフトよりだいぶ前の2007年2月に大ケガをして、リハビリ生活をしていたため全然投げていませんでした。
巨人もそれを承知で指名したとは思うのですが、結果として巨人在籍の3年間で1軍登板はなく、2軍でもわずか41試合で戦力外通告を受けてしまいます。
ドラフト1位で、たった3年で戦力外って本当に珍しいことですよね。
育成選手並みだなと思ったのは私だけでしょうか?

村田選手は12球団合同トライアウトを受け、それがきっかけでインディアンスのスカウトの目にとまりマイナー契約を結ぶことができました。
2011年A+からのスタートで、オフにはパナマのウィンターリーグに参加するなど地道に経験を積んでいきます。

村田透のインディアンス時代
出典:https://baseballgate.jp/

2012年からは、2Aと3Aを行ったり来たりしつつオフにはベネズエラのウィンターリーグに参加し、主に先発ですが先発以外でも中継ぎで出場しています。
どんなポジションでもメジャーのマウンドを目指していたのでしょうね。
まるで憧れの先輩、上原選手同様の雑草魂という感じです。

2015年6月に40人枠に1人空きが出て、なおかつダブルヘッダーの特例でベンチ入りできる選手が1人増やせるという状況で、村田選手がメジャー登録されたんです!
しかも先発マウンドに立つことができました。
翌日にはマイナーに戻ることになりましたが、巨人を戦力外になって5年の時を経てメジャーのマウンドに立つとは誰が想像したでしょうか。

しかもメジャーデビューしただけではなく、3Aでは15勝4敗、防御率2.90の成績でマイナーの最上位リーグの1つであるインターナショナルリーグの最多勝に輝いているのです。
村田選手にとって飛躍の年と言えるでしょう!

2016年もメジャー昇格を目指し3Aでプレーするも、残念ながら再昇格はならず、日本球界の復帰を決意します。
マスコミでは「阪神を含む複数球団の争奪戦か!」などと言われましたが、日本ハムに入団することになります。
日本に復帰し2017年6月に初勝利しますが、その対戦相手が何と戦力外通告された巨人だったんです。
何だか因縁めいたものを感じますね。

村田透のザリガニって何?

田選手で検索して出てくる「ザリガニ」というキーワードですが、他の選手にはまず出てこないですよね。

調べてみると、巨人在籍時のあだ名というか、投球フォームをバカにされた時のたとえだったとか。

村田透のあだ名はザリガニ
出典:Wikipedia

巨人時代は、投球フォームがカクカクしていたのがその由来だそうですが、何もザリガニに例えなくてもいいような気がします。

さらにコーチに「やっぱり外れはダメだ」などと言われてしまったそうです。
一体そのコーチはドラフト何位入団で、どのくらいプロでの実績を残したのか大変興味がありますね。
調べてみたら、村田選手が在籍した2008年~2010年の2軍投手コーチに該当する人は4人いて、さすがに誰が言ったかまではわかりませんでした。

マイナー時代や日本ハムではザリガニに例えられたことはないようなので、投球フォームはきっと改善されたんでしょうね。
そんな村田選手の投球フォームですが、ウィキペディアではワインドアップと紹介されています。
しかし、ウィキペディア以外ではスリークォーターと書かれていて、日本ハムでの投球の動画を見る限りではスリークォーターに見えました。
高校時代の動画を見たらワインドアップで投げていたので、ウィキペディアの情報は古いのかもしれません。

最後にまとめ

かがでしたか?
村田透選手について簡単にまとめると

①大阪体育大学浪商高校時代は、1年秋からエースでセンバツで1勝している。大阪体育大学での通算成績は13勝10敗で、4年時に右足首の靭帯切断という大ケガをしてしまう。
②上原浩治選手とは同じ大阪府出身で大阪体育大学出身。村田選手は上原選手に憧れていて、大学時代は上原2世と称された。巨人での在籍がかぶったのはわずか1年のみ。
③巨人を3年で戦力外になったが、インディアンスのスカウトの目にとまりマイナー契約。2015年には3Aで15勝4敗で最多勝に輝き、メジャーのマウンドにも立つ。
④ザリガニとは、巨人時代投球フォームがカクカクしているのをバカにされたことから来ている。現在の村田選手の投球フォームはスリークォーターと思われる。

といったところでしょうか。
村田選手が日本球界に復帰して2年目となる2018年シーズン。
3Aで最多勝に輝いたような投球を、ぜひ日本でもやって欲しいですね!

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