中村紀洋の現役時代(近鉄・中日)の成績に迫る!落合監督との関係も

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球選手は、どれだけすごい成績を残してもいつか引退する時がきます。
歴代通算本塁打1位のレジェンドである「王貞治」選手も引退する時が来ました。
2015年には「和田一浩」選手が引退し、2016年には「小笠原道大」選手。
2017年にはロッテの「井口資仁」選手と全盛期はスラッガーとして活躍した選手も引退していきます。

しかし、自分から生涯現役を宣言した選手がいます。
その選手が誰かを知っていますか?

その野球選手は『中村 紀洋(なかむら のりひろ)』選手です。
中村選手は生涯現役を宣言し、パ・リーグやセ・リーグに所属しメジャーにも挑戦しました。

そこで今回は、中村紀洋選手の現役時代である近鉄時代中日時代の成績に迫ってみましょう。
また、落合監督との関係も合わせて調べてみました。
それではさっそく中村選手のプロフィールから見ていきましょう!

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中村紀洋のプロフィール

中村紀洋
出典:https://ent.smt.docomo.ne.jp/
名前:中村 紀洋(なかむら のりひろ)
出身地:大阪府大阪市淀川区
生年月日:1973年7月24日
身長:180cm
体重:93kg
プロ入り:1991年 ドラフト4位
所属球団:大阪近鉄バファローズ (1992 – 2004)
オリックス・バファローズ (2005)
ロサンゼルス・ドジャース (2005)
オリックス・バファローズ (2006)
中日ドラゴンズ (2007 – 2008)
東北楽天ゴールデンイーグルス (2009 – 2010)
横浜DeNAベイスターズ (2011 – 2014)
デビュー:NPB / 1992年6月12日

村紀洋選手は1991年のドラフトで大阪近鉄バファローズから4位指名を受けプロ入りしました。
高校時代は2年生のころから4番を打つようになり、チーム初甲子園出場も成し遂げました。
高校時代はサードを守っていました。

中村選手はプロ3年目の94年から代打で活躍するようになりました。
翌年からサードのレギュラーに定着。
2005年には1年だけメジャーに挑戦もしました。

中村紀洋の近鉄時代の成績は?

村紀洋選手は1991年に近鉄バファローズ(現在のオリックスバファローズの前身球団)に4位でドラフト指名を受けプロ入りしました。
中村選手はプロ3年目から代打で起用されるようになりました。
翌年からはサードのレギュラーに定着。

打率こそは低迷するも、高卒4年目にして20本塁打をクリアしました。
その後は近鉄バファローズの打線の主軸として活躍しました。
2001年には打点王を獲得しチームのリーグ優勝日本一に貢献しました。
優勝した2001年は打線の4番に座りました。

中村紀洋の近鉄時代
出典:Twitter

当時の近鉄の打線のことを「いてまえ打線」と呼ばれていました。
「いてまえ」というのは大阪弁で「やっちまえ」という意味です。
近鉄バファローズは大阪の球団ですから地元の方言からとったネーミングですね。

中村選手は優勝した2001年まで3番や5番を打っていましたが、優勝したこの年から中村選手は4番を打っていました。
チームが優勝した2001年の前年には打点王と本塁打王も獲得しました。
中村選手はプロ4年目からメジャーに移籍するまで二桁本塁打をクリア。
チームの主砲として活躍しました。

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中村紀洋と落合博満監督との関係は? 中日が中村選手を獲得!

鉄バファローズの打線を担いチームのリーグ優勝、日本一に貢献した中村紀洋選手。
中村選手が尊敬している現役時代は3度の三冠王を獲得し、中日を黄金期に導き何度もセ・リーグを制した名将・「落合博満」監督とのエピソードを紹介します。

落合博満の現役時代の詳しい記事はこちら!
落合博満の現役時代の伝説の数々が凄い!全盛期の成績に迫る!
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落合博満監督の黄金期エピソードが凄い!成績と戦術が気になる

中村選手はメジャーから日本球界に復帰したときはオリックスバファローズに復帰しました。
しかし当時は怪我に苦しみ成績が残せませんでした。
それがきっかけで球団と契約更改がうまくいかず、チームを退団することになりました。
実質オリックスを戦力外になった中村選手を獲得するというチームはありませんでした。

中村紀洋と落合博満
出典:Twitter

しかしキャンプが始まってから中村選手を獲得するという球団が出てきました。
それが当時落合監督が指揮を執っていた中日ドラゴンズでした。
キャンプで中村選手は入団テストを行い、それに見事合格。
オープン戦で活躍し育成契約から支配下選手になりました。
当時の年俸はたったの400万円。
ここから中村選手は復活を遂げます。

中村紀洋は中日で復活!「生涯現役」とは?

うして誕生した中日ドラゴンズ中村紀洋。
中村選手は開幕前に支配下選手になると開幕戦にも出場しました。
当時中日の監督を務めていた落合監督は中村選手にとって憧れであり尊敬している選手でした。
その下で野球ができたということは中村選手にとっても大きなことだったでしょう。

中村紀洋の中日時代
出典:http://buffaloesmatome.blomaga.jp/

ちなみに中村選手の打撃フォームは落合監督と同じ神主打法といわれたフォームでした。
中日時代の中村選手は3番や5番などのクリーンナップを任されていました。
当時は中日にいた「福留孝介」選手の代役としても活躍しました。
その活躍はポストシーズンになっても変わらず、クライマックスシリーズでも中村選手は活躍しました。
日本シリーズに出場すると持病の腰痛が悪化していましたが、鎮痛剤を射ちながら強行出場しました。
そして中村選手は日本シリーズでMVPを獲得しチームは日本一に。
日本シリーズMVPのヒーローインタビューでは涙も流しました。
「生涯現役」と話す中村選手は中日の優勝に大きく貢献しました。
そんな中村選手が生涯現役の理由は「どんなことでもええ。俺は一生勝負し続ける。それが、生涯現役っていう意味や」。
中村選手かっこいいですね!

最後にまとめ

かがでしょうか?
中村紀洋選手について簡単にまとめると

①中村選手は1991年のドラフトで大阪近鉄バファローズから4位指名を受けプロ入り。高校時代は2年生のことから4番を打ちチームを初の甲子園出場させる。
②近鉄バファローズの「いてまえ打線」の主軸となる。2001年には打点王を獲得し、チームのリーグ優勝と日本一に貢献。
③メジャーから日本球界に復帰し、オリックスに入団するも戦力外になる。その後、中村紀洋選手が憧れ尊敬している落合博満監督の中日ドラゴンズに入団。
④日本シリーズでMVPを獲得しヒーローインタビューでは涙を流した。

中村紀洋選手は現在、静岡県の浜松開誠館高校でコーチを務めています。
何事にも勝負を続ける中村選手のこれからの活躍に期待です。

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