プロレスラー『本間 朋晃(ほんま ともあき)』選手が2018年6月23日、地元山形大会で怪我からの復活を果たしました!
実に477日ぶりの試合、10人タッグマッチで入場時から大声援を受け、見事に白星での復帰となりました。
試合後のコメントでも、ここまで復帰するにはいろいろな人が助けてくれたこと、そして何度も諦めそうになったときに、傍で励ましてくれた存在に感謝しかないということでした。
プロレスラーにとっての怪我は死んだも同然!その崖っぷちから這い上がってきた本間選手のこれからのプロレス人生に大きな期待をしたいところです。
そんな本間朋晃選手のプロフィールから、奇跡の復活劇を見ていきましょう!
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本間朋晃のプロフィール
出典:https://pro-wrestling365.com/
本名:本間 朋晃(ほんま ともあき)
ニックネーム:みんなのこけし
生年月日:1976年11月18日
出身地:山形県東根市
身長:181cm
体重:98kg
デビュー:1997年5月18日
得意技:こけし、小こけし、こけしロケット
本間朋晃選手はアニマル浜口道場出身。
1997年の大日本プロレスでデビューしました。
過激なデスマッチでその名を広め、蛍光灯デスマッチを流行らせたことでも知られています。
2002年に全日本プロレスに入団、「武藤敬司」の付き人を務めます。
2006年に新日本プロレスへフリー参戦し、極悪集団「G・B・H」に加入した本間選手。
2009年に正式入団、「矢野通」や「中邑真輔」らが「G・B・H」を離脱する中、「真壁刀義」のもと唯一本間だけが残留します。
離脱した中邑、矢野が新ユニット「CHAOS」を結成し、この新軍団と抗争を展開することに。
2014年「G1 CLIMAX」初出場を果たすも全敗で終わります。
2015年「WORLD TAG LEAGUE 2015」で真壁刀義と組んで初優勝。
2016年1.4東京ドーム大会にて、真壁刀義とともに第69代IWGPタッグ王者になった本間選手。
2017年「WORLD TAG LEAGUE 2017」で真壁刀義とともに2度目の優勝。
出典:https://sports.yahoo.co.jp/
やはり真壁選手との最強タッグがどこまで飛躍していくか、さらには2人の関係がどう展開していくのか?
目が離せませんね!
本間朋晃が試合中に大怪我!?
2017年3月3日の沖縄大会にて、「本間選手が邪道選手からの変型DDTを受け、まったく動けなくなった。」とスポーツ紙に報じられました。
その後沖縄県内の病院へ搬送され検査を受けた結果が、「中心性頸髄損傷(ちゅうしんせいせきずいそんしょう)」。
出典:http://kakutolog.cocolog-nifty.com/
これを聞いて2009年6月13日、「三沢光晴」選手がバックドロップを受け、意識不明および心肺停止となり、その後死亡したあの事件を思い出される人もいるのではないでしょうか。
このときの死因が「頸髄離断」であると発表されました。
さらには2017年5月4日、「高山善廣」選手が、前方回転エビ固めをかける際に頭部を強打し、「頸髄完全損傷」と診断され、回復の見込みがないとまで明かされています。
今回の本間選手の怪我が直接死に至るほどの大怪我であり、回復することが相当困難であることがわかりますよね。
これほどまでの大怪我をした本間選手は、病院のベッドで絶望に暮れ、当然未来に希望が持てず涙していたそうです。
そこへ新日本プロレスの仲間が励ましてくれたり、奥さんの支えがあったりと本間選手を後押しする力も加わり、大阪の病院で手術を受け、必死のリハビリで順調に回復していきます。
ここから本間朋晃の復活劇のはじまりです。
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本間朋晃の奇跡の復活劇
「DDT」
この技は頭からマットへ落ちるという見た目にも危険であることがわかります。
沖縄大会にて邪道選手からこの技を受けた直後、本間選手は身体が動かなくなってしまいました。
はじめ意識ははっきりとしていたらしいのですが、だんだん意識が遠のいていき、川が流れその向こうへ行かなければ…(三途の川?)そのとき誰かの声で目を覚まし再びリングの天井が見えたそうです。
それから救急車で病院に運ばれることに、このときはとにかく痛かったらしい!
痛みには強いはずのプロレスラーが痛がるとは壮絶な痛みであったことがわかります。
この後手術をし、回復していく訳ですが、死に至ってもおかしくないほどの大怪我をしても再びリングに戻ろうとする気持ちが、本間選手にはあったのでしょうか?
実は怪我をした3日後に新日本プロレスの「三澤」トレーナーから怪我の状況についての発表がありました。
このとき身体はまだまともに動かせない状況であったにもかかわらず、「動けるようになってまたリングに戻る」と言っていたそうです。
まさに超人ですね。
ただ本間選手本人の口からも言っておりましたが、この復活は周りの人たちの助けがあったからこそできたものだと…。
出典:Twitter
その中でも特に「真壁刀義」選手は本間選手が戻ってくる場所を作り、復活に向けて共に戦ってきたのではないでしょうか。
そして再びこのゴールデンコンビでタッグの頂点を獲ってくれることでしょう。
とにかくこの復活劇は多くのひとたちの協力と本間選手の強い気持ちが「奇跡」を生んだのです。
このことがまた誰かの励みになることを本間選手も望んでいます。
本間朋晃の影では妻の存在が!
沖縄大会にて大怪我をし、その際に沖縄までかけつけ、看病してくれたひとがいます。
本間選手の1番の理解者であり、リハビリ生活を支えてくれました。
なんとこの方と2017年8月に結婚しています。
一般女性の『千恵』さんです。
出典:Twitter
復活した山形大会の際にリングへ上がり本間選手と抱擁していたひとですね。
とても可愛らしい印象であります。
リハビリ中にはずっと本間選手に付き添い、手足が動かないときは関節が固まらないようマッサージをしたり、動かしてあげたりしてくれたそうです。
そしてプロレスラーとして復帰できるかもわからないときに結婚までしてしまうのですから、きっと千恵さんは本間選手の復活を確信していたのでしょう。
ここで本間選手が復活した試合後、リング上でのコメントを載せます。
「ただいま!首を怪我して人生あきらめてました。でもこうやって、また新日本プロレスのリングに戻ってくることができました!応援してくれたファンの方々には、感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。この怪我で1番頑張ったのはボクじゃないんです。奥さんなんです!プライベートなので申し訳ないんですが、言わせてください。千恵、ありがとう!千恵、愛してるよ!」
これからも「内助の功」で本間選手の活躍が大いに期待できます!
最後にまとめ
いかがでしたか?
本間朋晃選手について簡単にまとめると
②沖縄大会にて、死に至ってもおかしくないほどの大怪我を負うことに…。
③いろいろなひとの助けと本間選手の強い気持ちで奇跡の復活!
④復活に向けてのリハビリ中にまさかの結婚、妻の存在が1番の支えに。
本間選手の復活は多くのファンが勇気をもらい、待ち望んでいたことであります。
まだ完全復活とまではいかないまでも、その時が来るのはそう遠くはないことでしょう。
やっぱり本間選手がプロレスファンをもっともっと幸せにしてくれないと…?
「こけし・イズ・ハッピー!幸せになろうぜ!」の大合唱をこれからもプロレス会場でたくさん見たいですよね!
そして「末永くお幸せに」。