野村克也の現役時代がスゴイ!伝説の活躍と成績は?エピソードも

なたが思う歴代最強キャッチャーといえば誰ですか?

「谷繫元信」選手?「里崎智也」選手?「阿部慎之助」選手?「古田敦也」選手?
古田選手はリーグ再編成問題の時に日本球界に大きく貢献しました。
しかし日本球界に大きく貢献したキャッチャーは古田選手だけではありません。

野球ファンなら必ず知ってなくてはならない『野村 克也(のむら かつや)』選手もその一人ですね!
野村克也選手は選手として、監督としてもとても活躍して数々の伝説を残してきまいた。

そこで今回は、歴代最強キャッチャーの一人でもあり、日本球界に多大な貢献をした野村克也さんの現役時代に迫ってみましょう!

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野村克也のプロフィール

野村克也
出典:https://headlines.yahoo.co.jp/
名前:野村 克也(のむら かつや)
出身地:京都府竹野郡網野町
生年月日:1935年6月29日
身長:175cm
体重:85kg
プロ入り:1954年
所属球団:南海ホークス (1954 – 1977)
ロッテオリオンズ (1978)
西武ライオンズ (1979 – 1980)
デビュー:1954年6月17日

ムさん、という愛称で呼ばれる野村克也氏。
野村選手は1954年に南海ホークスという何度か名前を変え、現在の福岡ソフトバンクホークスになる球団に入団しました。
現在はプロを引退し解説者として活躍していますね。
現役時代はキャッチャーとして活躍。
また選手兼任監督も務めました。

野村選手は選手として日本球界に大きく貢献した選手の一人でもあります。
もちろん監督としても日本球界に大きく貢献しました。
野村選手は数々の伝説や歴史を作り1980年に引退しました。
引退後は解説者を経験した後にヤクルト、阪神、楽天の監督も務めました。

野村克也さんの監督時代の詳しい記事はこちら!
野村克也の監督時代に迫る!ヤクルト・阪神・楽天の監督エピソード

野村克也の幼少期は? 昔は無名選手だった?

村克也選手は1935年6月29日に京都の竹野群という場所で生まれました。
野村選手は2018年で82歳になります。

1935年生まれということは第2次世界大戦が始まったのが1939年のなので、戦争が始まる前に生まれたことになります。
野村選手が生まれたのは食料品店でした。
野村選手は3歳のころに父を亡くしていて母に育てられてきました。
兄が一人います。
貧乏な家だったため、小学校1年生の頃からその兄とともに新聞配達やアイスキャンディー売りなどのアルバイトをしていたようです。
小さい頃はこの貧乏生活から抜け出したいという思いがとても強かったようです。

野村克也の幼少期
出典:http://i-article01.com/

子供のころにあこがれていたのは、当時プロ野球の大スターであった赤バットの「川上哲治」選手・青バットの「大下弘」選手だったそうです。
川上哲治選手といえば巨人をV9を導いた監督として有名ですね。
この選手たちが少年だったころの野村選手に大きな影響を与え、プロ野球選手を目指し始めたようです。
しかし現在はレジェンドの一人として有名な野村選手ですが、学生時代は全くの無名で高校時代も全く活躍できずホームランすらもまともに打ったことがない選手でした。

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野村克也のエピソード 一度戦力外通告に!?

校時代全くの無名だった野村克也選手はどのようにしてプロ入りして活躍したのでしょうか?
1954年に南海ホークスのテスト生としてプロ入りした野村選手。
野村選手は巨人の大ファンだったので巨人に入団したかったそうですが、巨人には活躍していた捕手がいたので巨人に入ることをあきらめたそうです。

自分が入っても活躍しても出番がありそうなチームを探したところ、南海ホークスの捕手の年齢が高齢化していたのを知って、野村選手は南海ホークスに入団しようと決めたそうです。

野村克也の南海ホークス
出典:https://timeslip.co/pic/189/

しかし高校時代は全くの無名で実力がなかった野村選手。
プロ入りこそはするも、なかなか活躍することができませんでした。

そして1年目のオフに戦力外通告を受けることに…。
しかし秋季キャンプ中にチームの正捕手が交通事故、2番手捕手が高橋ユニオンズにトレード、3番手捕手が怪我したことがきっかけで残留することになった野村選手。

当時野村選手は「もしここでクビになるようなら生きていけません。」と辛抱強く交渉し、担当マネージャーに「お前のようなやつは初めてだが、若いうちなら人生はやり直せる。お前は活躍できないんだぞ。俺の目は確かだ。」と苦言を言われつつも何とか残ったと野村選手は語ります。

野村克也の伝説の活躍と成績は?

村克也選手が正捕手に定着したのは、3年目の時にハワイ春季キャンプで一軍に抜擢され活躍したことがきっかけでした。
当時監督だった「鶴岡一人」監督からは、キャンプが終わった時に「野村克也に活躍するめどがたったことが収穫」と褒めてもらいました。
当時の監督だった鶴岡監督も名将といわれる監督の一人です。

野村克也捕手
出典:http://kanchigai.biz/

正捕手に定着した野村選手は、さっそく本塁打王を獲得し30本のホームランを打ちました。
また8年連続本塁打王も達成。
8年連続でホームラン王ってすごいですね!
そして1965年には戦後初の三冠王に輝きました。

ちなみに平成の三冠王といわれた「松中信彦」選手がいますが、野村選手は安打数、本塁打数、打点数、これはすべて歴代2位の成績です。

松中信彦選手の詳しい記事はこちら!
松中信彦の全盛期の成績と伝説がすごい!エピソードも

今までたくさんの野球選手がいましたが、その中で2番目の歴代通算成績ということになります。
ちなみに2位に野村選手ですが1位はだれでしょう?
一位はあの「王貞治」選手が本塁打数、打点数、「張本勲」選手が安打数歴代1位に輝いています。
そんな2位どまりの野村選手ですが、今まで立った打席数は歴代1位です。
ほかにも併殺の数も歴代通算で1位だったりします

最後にまとめ

かがでしょうか。
野村克也選手について簡単にまとめると

①「ノムさん」という愛称で呼ばれる。1954年に南海ホークスに入団。現在は解説者として活躍。
②学生時代は全くの無名選手だった。3歳のころ父が亡くなっている。兄が一人いて家が貧乏だったため、その兄と一緒にバイトをしていた。
③南海ホークスが一番出番があると判断した野村選手は、大ファンの巨人ではなく南海ホークスに入団。戦力外通告も1度受けた。
④戦後初の三冠王を達成。8年連続本塁打王を獲得。本塁打数、打点数、安打数は歴代2位の成績。

野村克也選手の選手時代の活躍はこれだけではありあません。
たくさんの伝説を残してきた野村選手。
これからも解説者としての活躍を期待しています。

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