飯田哲也の現役時代に迫る!ヤクルトでの成績や守備は?エピソードも

の日本プロ野球界で守備がうまい外野手といえば?
2017年センターのゴールデングラブ賞を獲得した横浜DeNAの「桑原」選手や、2017年に日ハムから巨人に移籍した「陽」選手などが思いつくと思います。

では、現在引退した選手の中で外野の守備がうまい選手といえば、ヤクルトの『飯田 哲也(いいだ てつや)』選手がいます。

2018年現在のヤクルトのセンターは「坂口」選手が守っていますね。
今回ご紹介します飯田選手はヤクルトに所属し、センターのレギュラーとして活躍し守備がとてもうまいことで有名だった選手です。

そんな飯田選手のヤクルト時代の成績や守備、エピソードについて迫ってみましょう。

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飯田哲也のプロフィール

飯田哲也
出典:http://sp.baseball.findfriends.jp/
名前:飯田 哲也(いいだ てつや)
出身地:東京都 調布市
生年月日:1968年5月18日
身長:173cm
体重:72kg
プロ入り:1986年 ドラフト4位
所属球団:ヤクルトスワローズ (1987 – 2004)
東北楽天ゴールデンイーグルス (2005 – 2006)
デビュー:1989年4月12日

田選手は1986年に、ドラフト4位でヤクルトスワローズに指名されプロ入りしました。
当時高校三年生の時に甲子園に出場しています。
当時はキャッチャーをしていた飯田選手。
プロ入りした時はレギュラーだった捕手の2番手として扱われていました。

飯田選手は身体能力が高く、とても足が速い選手でした。
それにより当時のヤクルトの「野村克也」監督は、飯田選手を外野へコンバートすることになりました。
そしてそれが見事成功し、飯田選手はセンターのレギュラーとして活躍するようになります。

飯田哲也は外野にコンバート! 守備がうまい!

田選手は高校時代からキャッチャーを守っていました。
甲子園に出場した時もキャッチャーとして試合に出ていた飯田選手。
しかし、プロに入ってからは外野を守るようになりました。

飯田選手はもともと身体能力が高く足の速い選手です。
足の速い選手、いわゆる俊足といわれる選手でした。
当時のヤクルトの監督である野村克也監督の提案で外野へ飯田選手はコンバートされることになりました。

当時のヤクルトには、あの有名な「古田」選手がレギュラーとしてキャッチャーをしていた為、飯田選手は外野にコンバートしていなかったら試合で活躍するのは難しかったのかもしれません。
飯田選手はプロ2年目から本格的に外野にコンバートされます。
外野にコンバートとすると、これが見事成功しました。

飯田哲也の守備

飯田選手はセンターの守備がとてもうまく、歴代選手の中で見てもトップクラスの守備です。
センターでの7年連続ゴールデングラブ賞というのは「山本浩二」選手に次ぐ歴代2位の成績です。
飯田選手は守備範囲がとても広く、安打性のあたりもキャッチしていまいた。

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飯田哲也の現役時代の成績は?

田哲也選手は1986年のドラフトでヤクルトスワローズから4位指名を受け、プロ入りしました。
プロ入り時はさきほど紹介した通りキャッチャーをしていましたが、後に外野へとコンバートしました。

飯田選手がブレイクしたのはプロ2年目のことでした。
この年から飯田選手は本格的に外野にコンバートされます。

飯田哲也
出典:Twitter

この年は100試合以上に出場し、盗塁も20個以上決める活躍をしました。
その後レギュラーの世代交代となる1999年まで「1番センター飯田哲也」として試合に出場していました。
プロ4年目には盗塁王も獲得し、俊足を披露しました。
飯田選手が盗塁王を獲得した1992年はリーグ優勝を達成し、日本シリーズに進出するも西武に敗れてしまいました。
しかし翌年もリーグ優勝を達成。
これでチームは2年連続リーグ優勝となりました。
そして日本シリーズでは去年敗れた相手である西武ライオンズを倒し、日本一となりました。
その時のセンター、そして1番はもちろん飯田選手。
ケガでレギュラーを奪われる2000年までのヤクルトのセンターといえば飯田選手でした。

飯田哲也の守備で魅せるファインプレー

田からレギュラーを奪ったは「真中満」監督でした。
その後ケガなどによりどんどん出場機会が減り、最終的にはチームを戦力外となり楽天に移籍することになりました。

全盛期は守備範囲の広さを生かして外野フェンスを利用しいわゆる三角飛びをしてホームランボールを捕ることがありました。
メジャーではフェンスによじ登る選手がよくいますが、日本ではなかなかいませんね。
しかし飯田選手はホームランボールをキャッチするなど守備で魅せてきました。

飯田選手が守備で貢献することが多かったのですが、それは日本シリーズでもそんな場面がありました。
1993年の日本シリーズのこと。
この年は先ほど紹介した通り西武にリベンジを果たすのですが、この時も飯田選手のファインプレーがありました。
それは日本シリーズ第4戦目のことでした。
飯田選手はヤクルトリードの8回表2アウト。
走者は一塁二塁の場面で、二塁走者は俊足の「笘篠誠治」、打者は「鈴木健」という状況でした。
飯田選手は70m近いダイレクトのバックホームで二塁走者の生還をなんと阻止しました。

最後にまとめ

かがでしょうか?
飯田哲也選手についてまとめると

①ドラフト4位でヤクルトスワローズにドラフト指名されプロ入り。当時高校三年生の時に甲子園に出場。当時はキャッチャーをしていた。
②身体能力が高く足が速い選手だったため、当時のヤクルト監督だった野村克也監督の提案で外野にコンバートすることに。これが見事成功する。
③プロ2年目から本格的に外野にコンバートされる。盗塁王も獲得。1993年にはチームの日本一に貢献した。
④晩年はヤクルトを戦力外になり楽天に移籍。ホームランボールをキャッチしたりバックホームなど守備で活躍した。

飯田選手は2018年現在ソフトバンクのコーチを務めています。
これかもコーチとしての活躍に期待しています。

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